コラム

日米「2+2」に備えてのウォーミングアップ

2010年05月17日(月)11時51分

 アメリカの外交論評誌『フォーリン・アフェアーズ』というのは、論評というよりはワシントンの様々な立場の外交政策に関するアドバルーン的なものとして読むのが適切だと思います。ところで、日米は今月末に向けて、外相同士、または防衛相同士の会談を行う予定にしています。実際に4人が顔を揃えるのかどうか、本稿の時点では確認出来ていませんが、実質的に「2+2」ということになるでしょう。いわば、そのウォーミングアップとして、今回の2010年5/6月号に掲載されている2本の論文を手がかりに、アメリカの東アジアにおける中長期的な軍事外交について、考えてみたいと思います。

 1本目は、他でもない今月の来日が予定されているゲイツ国防長官の論文です。「他国の自己防衛への支援」と題された論文は、基本的にこの間の、厳密に言えば、2期目のブッシュ前大統領がイラク戦争の泥沼化によって、2006年の中間選挙に敗北し、前任のラムズフェルド前国防長官が更迭されて自身が就任した時点から、ブッシュ、オバマの2代の大統領に仕えてきた自分のイラクとアフガンへの努力に関する立場の総括といって良いでしょう。

 内容については、アメリカはパートナーが政治的軍事的に独立して、自分で治安を維持できるように支援することを最大のミッションとしてきたという方針が改めて確認されています。そして、イラクを成功事例とする一方で、仮にパートナーと表面的に価値観のズレが起きても粘り強く支援する、という言い方で、何かと行き違いの目立ったアフガニスタンのカルザイ政権との関係も改めて強調した形です。この主張は、更に含みとしてはイランを交渉のテーブルにつかせることにも、粘り強く対応すべきという姿勢も入っていると思います。

 また、論文の中で特に強調されているのは、国務省との関係です。従来は、行き違いや別行動ということもあり得た、国防総省と国務省が、近年は蜜月とも言っていいほどの連携が出来ているということを、「ポトマック両岸の架け橋(国防総省はワシントンDCからポトマック川を渡った対岸のバージニア州にある)」という表現で強調しているのです。

 さて、この論文では特に日本への言及はありません。例えば「アメリカはパートナーが自立した防衛ができるよう援助する」という大方針が謳われているからと言って、そのまま「日本自主防衛論」を示唆しているわけではないと思います。ゲイツ国防長官、そして緊密な連携を取っているというヒラリー国務長官の2人は、日本に関しては複雑な経緯からの特殊性を認識しているはずです。というのは、このゲイツ=ヒラリー外交、もっと言えばオバマ外交というのは、非常に緻密なものだからです。非常にフレキシブルで柔軟、そして何よりも「平和と安定」という結果を出すことに腐心する現実主義がそこにはあります。

 その意味で、今回の「普天間基地返還」問題でも、アメリカ側としては自分たちの利害もありますが「本当に地元との合意が取れるのか?」という観点からの「突っ込み」が再三行われているということに注目する必要があるでしょう。徹底した現実主義、事実に根ざした外交や世論対策としての戦略的志向、今回の「2+2」はそうした姿勢で胸襟を開いたコミュニケーションを期待したいと思います。

 ところで、この号の「フォーリン・アフェアーズ」には、有名な元新聞記者で、現在は「地政学」の専門家で軍部からの信頼も得ているというロバート・カプランの『中国の壮大な地図(グランド・マップ)』という論文が掲載されていました。カプランは、90年代のバルカン情勢を「セルビアが悪玉」だとしたマキャベリズムで分析して見せて時代の寵児になった人物ですが、今回は「大中国圏」なる概念を持ち出して中国の脅威を警告する、そしてヒラリー・クリントン国務長官の外交が「バランス・オブ・パワー」軽視であって大変に危険だとしているのです。

 ただ、アジアの人間であればすぐに分かるのですが、この論文はかなり「トンデモ」という内容です。特にその「大中国圏」というのが西はカザフ、トルクメニスタン、アフガン、パキスタンまで、インドを含めて全ユーラシアをカバーし、南はマレーシアからインドネシア列島の全域までのオール・ASEAN、そして北東アジアは日本以外の全域に沿海州や樺太までを包摂しているのです。この「大中国圏」について中国は野心があり、特にフィリピンとインドネシアを影響下に置くことで南シナ海を「アジアの地中海」にする野望があるというのです。

 またこのユーラシア大陸の東半分についていえば、中国の支配に抵抗を示すのは日本、インドの2カ国だけというのです。この「壮大な地図」ですが、どうやら歴史的な中国王朝の版図や、華僑の活動圏などから導き出したもののようですが、中国とのバランス・オブ・パワーを志向するにしても、そして「お互いの計算ミスによる戦争の発生を防ぐため」という理由があるにしても、理解の範囲を超えています。インドネシアやマレーシアといった南アジアのイスラム圏、あるいは中央アジアのイスラム圏を中国がコントロールできるというのも妄想だと思いますし、インドを中国が狙うというのも歴史的・文化的に非現実的です。まして、統一韓国は日米よりも中国寄りになるという前提などに至っては、乱暴で話にもなりません。

 私はこのカプランの政治的な位置については、詳しくは分かりませんが、オバマが「対中国のプレッシャー」を政治的に使い出したのを「横取り」するような形で、対中国の冷戦をテーマとして動き出している勢力があるのかもしれません。また、軍学校の教官としても活躍しているカプランの周囲には、対中冷戦という新しいテーマに飛びつきたい人物が集まっているのかもしれません。だとしたら、日本はこうしたグループに接近するのではなく、むしろゲイツ=ヒラリー=オバマの「各国世論や各国の価値観を理解した上」での「結果オーライ」を志向した緻密な現実主義との誠実な対話を行うべきなのではないでしょうか?

 端的に言えば、アメリカの現政権が指向している抑止力というのは、文化や地域世論まで含めた複雑系としての「抑止力2.0」とでも言うべきものであり、カプラン流の「力には力を」といった20世紀的な「抑止力1.0」とは次元の違うものだと思うのです。「台湾への防衛型武器供与」や「ダライ・ラマとの面会」に踏み切った一方で、昨年11月に初来日の際、サントリーホールでの講演では「自分は中国の封じ込めはしない」と言ったオバマの「複雑なメッセージ」発信のスタイルはそう理解すべきです。普天間の問題もそうした理解をすることで、初めてコミュニケーションは進むのではないでしょうか?

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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