コラム

アメリカの「殺気」は変えられるのか?

2010年02月19日(金)12時05分

 先週から今週にかけてのアメリカでは血生臭い事件が続いています。まず、オリンピックの陰で進行しているアフガニスタンのナージャ攻防戦は、主要道路と市場を米軍が制圧したようですが、ゲリラ的な抵抗を続けているタリバンとの間は一進一退となっているようです。そんな中、18日の木曜日には、内国歳入庁(IRS、日本の国税庁に類似の組織)への恨みを持つ人間が、テキサス州のオースティン市にある、IRSの事務所に小型機で突入したという事件がありました。小型機とはいえ、航空機を操縦して連邦政府のオフィスに攻撃を加えたということで、純粋に国内の事件とはいえ、一種の自爆テロということで大騒ぎになりました。おかげで、「ダライラマとオバマ大統領の会談」のニュースの扱いは吹っ飛んでしまいました。

 本稿の時点では詳細は不明ですが、死亡した犯人は連邦の税金に対して激しい憎しみを抱いていたとブログ上の遺書に書き残しています。そういう種類のセンチメントは、実はあまり珍しくはないのです。この犯人が遺書で述べていた「中産階級からカネを巻き上げて、銀行救済や景気刺激策に回す」ことへの怨念というのは現在、アメリカの政局を揺さぶっている、保守系の「ティーパーティー」の主張そのものです。では、こうしたテロ行為が起きたことで、運動が沈静化するかというと、恐らくそうしたことにはならないでしょう。徴税権への反抗というのは、アメリカの特に保守派にとっては自分の存在証明のようなものだからです。日本より1カ月遅い、4月15日の確定申告締切日には、恐らく全米で「ティーパーティー」がかなり派手なデモをすることになるでしょう。

 もう1つ、南部アラバマ州のアラバマ大学ハンツビル校で12日に起きた女性教員の発砲事件は、大学の研究職を獲得するための競争社会のプレッシャーを象徴する事件として、かなり話題になっています。同大学の45歳の生物科学部准教授が、学部の教授会で発砲して、教授ら教員3人が死亡したというのですから、衝撃的です。ちなみに、この事件の舞台になった建物は、共和党の重鎮、シェルビー議員夫妻が寄付したもので、夫妻の名前がつけられているということで、シェルビー議員もショックを受けていたようでした。

 犯人は「テニア・トラック」の教員でした。「テニア」というのは、元来はその人の職歴とかキャリアという広い意味の言葉ですが、大学の場合は終身雇用のことを指します。アメリカの場合、大学の正規の教授になるには、まず博士課程の単位を取り、論文審査に合格して博士号を得た後で、「テニア・トラック」という雇用を得るのです。この「トラック」というのは、審査期間というような意味で、立場や肩書は准教
授となり、教育と研究に従事するのですが、通常は数年間の期限付き雇用で、その期間内の学問的実績を審査されるのです。そして審査に合格すると正規の教授に採用されて終身雇用の権利が得られます。

 逆に、審査にパスしないと、その大学を去らねばならないのです。このプロセスは非常に厳格で、論文の本数、学会発表の回数、出版物の点数、更には学生による評価など、様々な要素から判断がされます。また、日本と大きく違うのは、出身の大学や大学院に「残る」場合は、審査が不利になることです。中には、その大学で博士号を取った人は、審査対象にもしないという大学もあります。純血主義の逆というわけですが、情実による判断や、学風の保守化は大学の競争力を歪めるという考えが背景にはあります。

 ですから、よほど優秀か独自の研究テーマを持っている研究者以外では、テニアを獲得するには運と根気が必要になるわけです。そんなわけで、今回の事件に関しては、「テニア・トラック」の厳しさを指摘する声がかなり出ているようなのですが、制度が緩むということはないと思います。では、仮に「何度やってもテニアが取れない」とか「そもそも博士論文がパスしない」ような人はどうするのでしょうか?

 そうした人は、基本的に民間の研究員になるか、高校教師になるのです。公立私立問わず進学校の理科や数学の先生には、時々博士号を持っている先生や、博士号を取り損なった先生がいて、保護者会での自己紹介の際には「研究者を目指したんですが、ある瞬間に若い人の教育にも意義があるとひらめきまして」などと皆、同じようなことを言うのです。分かる人には「その瞬間というのはテニアトラックに落ちたり、論文が通らなかったた瞬間なんだろうな」ということなのですが、では、そうした「研究者からの転身組の先生」は生徒や保護者にどう思われているのかというと、やはり高校の先生としては優秀なので尊敬されていることが多いのです。

 基本的に新卒一括採用とか、年齢制限のないアメリカの雇用システムでは、そんなわけで自分のプライドさえ何とかできれば、30代でも40代でも道が開けるわけで、そのあたりは日本よりも「機会」は幅が広くなっているのです。そう考えると、今回の事件は、やはり「そこに銃があった」ことに一番の問題がある、私にはそう思えてなりません。航空機を使った国内テロにしても、アフガンでの軍事作戦も、アメリカの文化を大雑把に捉えるならば、その中にある銃社会ならではの「殺気」が関係しているように思うのです。その点に関しては、オバマ大統領としては「チェンジ」など全くできていないように思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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