コラム

ヴェネツィア・ビエンナーレとは何か(2):『資本論』とロールス・ロイス

2015年10月22日(木)16時00分

マイアミで開催された「アートバーゼル・マイアミビーチ」 2012 Robert Sullivan-REUTERS

前回「ヴェネツィア・ビエンナーレとは何か(1)」はこちら

 今回のビエンナーレは、いまだに「ポストコロニアリズム」「マルチカルチュラリズム」という1990年代以降お馴染み過ぎる主題を扱っている。しかも真っ先に参照されるのが、これも手垢まみれの「左翼批評家」ヴァルター・ベンヤミンの文章。アートフェスティバルはお祭りなんだから、こんなに古臭くて暗い主題や展示は、もうたくさんだ! ......というのが、多くのメディアからヴェネツィア・ビエンナーレ2015に寄せられた批判だった。しかし、この論難はあまりにも素朴で単純に過ぎる。というより、アートが担うべき役割のひとつ「社会状況への異議申し立て」が、あまりにもないがしろにされている。

  ディレクターのオクウィ・エンヴェゾーは、先にも引用したステートメントの中で「現在の世界状況は壊滅的で、混乱を極めている。暴力的な騒乱に脅かされ、経済危機への懸念、ソーシャルメディアで拡散される地獄の様相、分離主義的な政治によって、そして、移民、難民や絶望した人々が、一見したところ平和で豊かだと思える土地に安息の地を求めるにつれて引き起こされる、公海や砂漠や国境地帯における人道主義の存続の危機によって、パニックに陥っている」と書いている。世界状況の認識は正鵠を射ており、これを「古臭い」と言うのは当たらないだろう。エンヴェゾーの姿勢は、むしろ称賛されるべきではないのか?

エンヴェゾーへの本質的な批判

 一見、この主張は説得力があるように思える。だが、世界状況を正しく把握しているからこそ、エンヴェゾーはまったく別の角度から批判されている。なるほど、鳥の目で俯瞰したおまえの世界像は正確かもしれない。だが、虫の目で自分自身を見つめてみたらどうか。ビエンナーレは「移民、難民や絶望した人々」の側に立っているか。むしろ、世界を壊滅させている側に立っているのではないか。今年、ビエンナーレが金獅子賞を授けたパビリオンは、オスマン帝国政府による自国人の大虐殺100周年をテーマとしたアルメニア館だったが、これも政治的なポーズあるいはカモフラージュに思える。つまるところ、おまえたちは偽善者ではないのか?

01_armenia1.JPG

アルメニアの展示は、サン・ラザロ島の修道院で行われた (photo by Hiroko Ozaki)

02_armenia2.JPG

アルメニア人アーティスト、サルキスの「Ada Ewe vierge」 (photo by Hiroko Ozaki)

 実際、エンヴェゾーの企画展は、戦争、暴力、差別、貧困、経済格差、環境破壊など現代の問題点を列挙し、それらをもたらしたグローバル資本主義を批判している。だが、現在のアートワールドの繁栄は当のグローバル資本主義があってこそ。グローバルな交通、交易、通信、投資などによって資産を為した富裕層、つまり弱者を搾取する強者こそがアートワールドを支えていて、その頂点に立つのがヴェネツィア・ビエンナーレにほかならない。その事実を隠蔽して世界の暗部に光を当て、自らが弱者の側に立っているかのように振る舞うのは、偽善を通り越して犯罪的とさえ呼びうる。これは、エンヴェゾーへの本質的な批判と呼べるだろう。

 グローバル資本主義とアートワールドの癒着から観客の目をそらし、自らの立ち位置を棚上げにして悲惨な社会状況を告発すること。それが犯罪だとすれば、エンヴェゾーには「共犯者」がいる。メディアに名指しされているのは、前回触れたアイザック・ジュリアン。ビエンナーレの会期中、毎日行われる『資本論』朗読を演出したアーティストだ。自身が著名なマルクス主義学者のデヴィッド・ハーヴェイと語り合う映像インスタレーション「Kapital(資本)」も、セントラルパビリオンの別スペースで展示している。そんな志の高い作家が、なぜ共犯者呼ばわりされなければならないのか。

プロフィール

小崎哲哉

1955年、東京生まれ。ウェブマガジン『REALTOKYO』『REALKYOTO』発行人兼編集長。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。2002年、20世紀に人類が犯した愚行を集めた写真集『百年の愚行』を刊行し、03年には和英バイリンガルの現代アート雑誌『ART iT』を創刊。13年にはあいちトリエンナーレ2013のパフォーミングアーツ統括プロデューサーを担当し、14年に『続・百年の愚行』を執筆・編集した。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ベネズエラ、麻薬犯罪組織の存在否定 米のテロ組織指

ビジネス

英予算責任局、予算案発表時に成長率予測を下方修正へ

ビジネス

独IFO業況指数、11月は予想外に低下 景気回復期

ワールド

和平案巡り協議継続とゼレンスキー氏、「ウクライナを
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界も「老害」戦争
特集:世界も「老害」戦争
2025年11月25日号(11/18発売)

アメリカもヨーロッパも高齢化が進み、未来を担う若者が「犠牲」に

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナゾ仕様」...「ここじゃできない!」
  • 2
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」〈注目記事〉
  • 3
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネディの孫」の出馬にSNS熱狂、「顔以外も完璧」との声
  • 4
    老後資金は「ためる」より「使う」へ──50代からの後…
  • 5
    「搭乗禁止にすべき」 後ろの席の乗客が行った「あり…
  • 6
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    【銘柄】いま注目のフィンテック企業、ソーファイ・…
  • 9
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 10
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR動画撮影で「大失態」、遺跡を破壊する「衝撃映像」にSNS震撼
  • 4
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 5
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「まじかよ...」母親にヘアカットを頼んだ25歳女性、…
  • 8
    AIの浸透で「ブルーカラー」の賃金が上がり、「ホワ…
  • 9
    マムダニの次は「この男」?...イケメンすぎる「ケネ…
  • 10
    海外の空港でトイレに入った女性が見た、驚きの「ナ…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 3
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 10
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story