コラム

イランの聖地で16人娼婦連続殺人事件が起きた『聖地には蜘蛛が巣を張る』

2023年04月15日(土)15時04分

本作は、ひとりで幼子を育てる娼婦が、夜の街に出て、スパイダー・キラーの新たな犠牲者になるところから始まる。連続殺人事件はすでに進行している。本作には、ハナイとともにもうひとりの主人公として、事件を追う架空の女性ジャーナリストのラヒミが登場する。物語はそのふたりの視点で描かれていく。

ラヒミはバスでマシュハドにやって来て、支局で犯罪を担当する記者シャリフィと連携して取材を進める。やがてある手がかりをつかんだ彼女は、自らが囮となって危機的な状況に追い込まれる。

本作の設定や構成には、先述したTVドキュメンタリーがいろいろとヒントになっているように思える。TVドキュメンタリーには、ローヤ・カリミという女性ジャーナリストが登場し、裁判の動向を追っていく。注目したいのは、彼女が紹介する公判中にハナイと対面したときのエピソードだ。ハナイは彼女に、最初に殺した女性もカリミという名前だったのを知っているか尋ねることで、彼女も犠牲者になり得たことをほのめかしていたという。

注目したいのは、風刺的な視点

さらに付け加えるなら、本作には、先述した臆することなく父親を英雄視するハナイの息子のイメージもリアルに引き継がれている。アッバシはそうしたヒントをもとに、独自のアプローチで事件を描き出していく。全体としてはスリラーやサスペンスの要素が強く見えるが、筆者が特に注目したいのは、風刺的な視点だ。

スパイダー・キラーの手口は大雑把だといえる。妻子が実家に戻る日を選んで、バイクで街に出て娼婦を拾い、自宅に連れ込んで隙を見て絞殺する。死体をチャドルや絨毯などでくるみ、バイクの荷台に乗せて、人気のない場所まで運び、放置する。彼は、事件に対する世間の反応を見たくてうずうずしているので、明るくなればすぐに発見されるような場所を選んでいる。

先ほど本作は、スパイダー・キラーの新たな犯行から始まると書いたが、そこにもアッバシのある意図を見て取れる。ハナイは自宅の近くまで来ると、娼婦に黒い布袋を被るように指示する。用心しているように見えるが、その後で段取りが狂う。彼が自宅の扉の鍵を開けようとしたとき、階段の途中にいた娼婦は、嫌な予感がしたのか、突然その場を去ろうとする。慌てた彼は、娼婦を突き倒し、踊り場で絞殺してしまう。

そして、そんな犯行の場面に呼応するのが、地元警察を訪れたラヒミが、事件の捜査責任者ロスタミに取材する場面だろう。手がかりも見出せない警察に批判的な彼女に対して、彼は高圧的な態度をとり、中央や知事からの圧力を受けながら捜査を進めていて、犯人は必ずミスを犯すので、そのときに捕らえるというように語る。

警察はただ犯人を泳がせているようなものだが、それだけでなく、アッバシは、物語の流れのなかで繋がっていくような風刺を仕組んでいる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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