コラム

消えゆくパリ郊外のガガーリン団地、若者の孤独『GAGARINE/ガガーリン』

2022年02月25日(金)17時53分

1作目は、本作のもとになった「Gagarine」(15)。世界観は本作と同じだが、ユーリは20歳で、母親と暮らしている。3作目の「Chien Bleu」(18)は、設定はまったく違うが、本作に大きな影響を及ぼしているように思えるので、そこに話を進める前に、彼らが本作の後に着手している2作目の長編の企画『Still I Rise』について書いておきたい。次の舞台は、ニューヨークのハーレムで、彼らはそこに暮らす低所得層の人々と関係を築き、そこからプロットやキャラクターを作り上げようとしている。短編や本作で確立されたビジョンを発展させようとしているわけだ。

ということで、3作目の短編に戻るが、「Chien Bleu」は「青い犬」のタイトルで配信されたことがある。舞台は、ガガーリン団地ではなく、パリの北側、オーベルヴィリエにある団地で、場所と住人にインスパイアされた物語が描かれる。

主人公は、団地に父親のエミールとふたりで暮らす息子のヨアン。父親は強迫性神経症で外に出ることができず、青以外の色に恐怖を感じるため、部屋をすべて青く染めている。そんな父親を支えるヨアンは、ある日、青いサリーをまとった少女ソラヤに出会う。アフリカ系でタミル民族舞踊を習う彼女に触発されたヨアンは、父親が病を克服できるようにある行動に出る。

この短編で印象に残るのは、父親の心理を表現する色の使い方、病を患う父親を温かく見守るコミュニティの結束、父子を解放に導く文化の多様性などだが、それらはかたちを変えて本作に引き継がれている。

バンリューに新たな光をあて、鮮やかに描き出した

本作のユーリは、団地を守るためにそこに立てこもり、宇宙船に変えていくが、その行動には別な意味も込められている。「青い犬」の父親が強迫性神経症で外に出られなかったように、ユーリも団地を失って生きていくことに激しい恐怖を感じ、守るというよりは、そこを出ることができなくなる。また、リアタールはプレスで以下のようにも語っている。


「象徴的な意味では、建物は母親のおなかの中を表していて、そこから出ていくことを拒む少年の姿が描かれている」

そこで注目したいのが、ユーリとロマの少女ディアナの関係だ。ディアナは、「青い犬」に登場する少女ソラヤと同じような役割を果たす。ユーリとディアナの関係では、前半部で彼女がユーリに教えるモールス信号が物語の伏線になる。ある晩、ユーリは、団地から遠く離れた場所に設置されたタワークレーンの運転席に忍び込んだディアナから送られた光のモールス信号に気づき、交信を通して彼らの距離が縮まっていく。

しかし、そんなふたりの違いを明確にする出来事が起こる。彼らは、ディアナが暮らすロマのキャンプが事前通告もなく強制撤去されるのを目の当たりにする。ディアナは怒りを露わにするものの、家族とともに別のキャンプへと去っていくが、団地を失うことを想像したユーリは、激しく動揺し、運命をともにするかのように団地にこもる。だが彼は、最後の瞬間のために、ディアナにだけ届くであろうメッセージを団地=宇宙船に仕込んでいて、ふたりの結びつきが彼の運命を変える。

リアタール&トルイユは、様々な媒体で、バンリューを題材にした映画では、貧困や暴力が頻繁に描かれるが、他にもたくさんの物語があると語っている。そんな彼らは本作で、ドキュメンタリーとフィクションを融合させた独自のスタイルで、バンリューに新たな光をあて、異なる側面を鮮やかに描き出している。

《参照/引用記事》●Fanny Liatard & Jeremy Trouilh | villa-albertine.org

『GAGARINE/ガガーリン』
(C)2020 Haut et Court - France 3 CINEMA
2月25日(金)より、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネ有楽町他にて全国公開

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

25・26年度の成長率見通し下方修正、通商政策の不

ビジネス

午前のドルは143円半ばに上昇、日銀が金融政策の現

ワールド

米地裁、法廷侮辱罪でアップルの捜査要請 決済巡る命

ビジネス

三井物産、26年3月期は14%減益見込む 市場予想
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 2
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 3
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    中居正広事件は「ポジティブ」な空気が生んだ...誰も…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 10
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story