コラム

ボスニア紛争、わらにもすがる思いに誰もが打ちのめされる『アイダよ、何処へ?』

2021年09月17日(金)16時01分

通訳である彼女は、状況が最悪の方向に向かっていることを知りつつも...... 『アイダよ、何処へ?』

<ボスニア紛争末期にスレブレニツァで起こった虐殺事件が描き出される>

『サラエボの花』や『サラエボ、希望の街角』でボスニア紛争の傷跡を描いてきた女性監督ヤスミラ・ジュバニッチの新作『アイダよ、何処へ?』では、紛争末期にボスニア東部のスレブレニツァで起こった虐殺事件が描き出される。

本作には、「本作は事実に基づく/ただし登場人物や会話には創作が含まれる」という前置きがある以外、特に背景説明もないまま1995年7月11日から13日に至る3日間が切り取られ、独自の視点で刻一刻と変化する状況が浮き彫りにされていく。その間に起こったことを簡潔にまとめれば以下のようになる。

スレブレニツァは、ムスリムの領土のなかで人口密度が高い孤立地域のひとつで、国連安保理によって"安全地帯"に指定され、軽装備の国連保護軍が派遣されていた。そこにセルビア人勢力が侵攻し、安全地帯を占領。2万人以上の住人たちが市街地の外れにある国連保護軍の基地に押し寄せる。

セルビア人勢力の軍司令官ムラディッチ将軍と国連保護軍、住民代表の会談が行われ、将軍が調達したバスで避難民を移送することになる。ところがセルビア人勢力は、監視にあたる国連軍の準備が整う前に、一方的に移送を開始。避難民が選別され、女性や老人はムスリムが支配する地域に運ばれ、男性は行方不明になる。その後、次第に虐殺の実態が明らかになっていく。

国連保護軍が管理する基地で通訳として働くアイダ

このあらましが頭に入っていると、ジュバニッチ監督の独自の視点がより明確になる。それはまず何よりも主人公の設定に表れている。地元民であるアイダは、国連保護軍のオランダ部隊が管理する基地で通訳として働いている。だから変化する状況を間近に見ている。

さらに、彼女とその家族の立場をめぐる見逃せないエピソードがある。保護を求めて押し寄せた住人のなかで、基地に収容されたのは一部であり、多くの避難民が基地の外に取り残されていた。基地内で対応に当たっていたアイダは、夫とふたりの息子のひとりが基地の外にいることを知り、何とか引き入れようとするが、職員の家族だけを優遇することは許されない。

そこで彼女は、ムラディッチ将軍との会談に臨む代表を募っていた国連保護軍の少佐に、校長である夫を強く推奨し、代表のひとりに決まった夫と息子を基地内に迎え入れる。セルビア側が、国連保護軍の通訳が会談に参加することを嫌がっていたため、アイダが会談に臨むことはないが、彼女の家族が関わる。そのことによって本作では、セルビア人勢力と国連保護軍、住人の駆け引きとアイダと家族の運命が終始、複雑に絡み合っていくことになる。

「私は悪魔と握手してしまったように感じた」

そしてもうひとつ、筆者が注目せずにいられなかったのが、国連保護軍オランダ部隊の司令官カレマンス大佐の立場や行動だ。彼はアイダと家族の運命にも大きな影響を及ぼすが、理由はそれだけではない。

この司令官の存在は、スレブレニツァの虐殺の1年前にルワンダで起こった多数派フツ族による少数派ツチ族の大量虐殺、そのときにPKO部隊UNAMIR(国連ルワンダ支援団)の司令官として活動していたカナダの軍人ロメオ・ダレールが後に発表した『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか----PKO司令官の手記』を思い出させる。

oba203,200_.jpg

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか----PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール 金田耕一訳(風行社、2012年)

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

パレスチナ国家承認、米国民の6割支持=ロイター/イ

ワールド

潜水艦の次世代動力、原子力含め「あらゆる選択肢排除

ビジネス

中国債券市場で外国人の比率低下、保有5カ月連続減 

ワールド

台湾、米国との軍事協力を段階的拡大へ 相互訪問・演
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:脳寿命を延ばす20の習慣
特集:脳寿命を延ばす20の習慣
2025年10月28日号(10/21発売)

高齢者医療専門家の和田秀樹医師が説く――脳の健康を保ち、認知症を予防する日々の行動と心がけ

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 2
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
  • 3
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多い県」はどこ?
  • 4
    TWICEがデビュー10周年 新作で再認識する揺るぎない…
  • 5
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 6
    米軍、B-1B爆撃機4機を日本に展開──中国・ロシア・北…
  • 7
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 8
    【2025年最新版】世界航空戦力TOP3...アメリカ・ロシ…
  • 9
    【クイズ】12名が死亡...世界で「最も死者数が多い」…
  • 10
    汚物をまき散らすトランプに『トップガン』のミュー…
  • 1
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 2
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号返上を表明」も消えない生々しすぎる「罪状」
  • 3
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多い県」はどこ?
  • 4
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
  • 5
    まるで『トップガン』...わずか10mの至近戦、東シナ…
  • 6
    フィリピンで相次ぐ大地震...日本ではあまり報道され…
  • 7
    本当は「不健康な朝食」だった...専門家が警告する「…
  • 8
    日本で外国人から生まれた子どもが過去最多に──人口…
  • 9
    「心の知能指数(EQ)」とは何か...「EQが高い人」に…
  • 10
    TWICEがデビュー10周年 新作で再認識する揺るぎない…
  • 1
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 2
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 5
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 6
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 7
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 8
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story