コラム

ヒッチコック狂の「完全犯罪」と物議を醸した未解決事件を映画化『私は確信する』

2021年02月11日(木)11時00分

計算しつくされた緻密な構成に舌を巻く......『私は確信する』

<実際にフランスで起こった未解決の「ヴィギエ事件」に基づく新人離れした完成度の法廷劇>

フランスの新鋭アントワーヌ・ランボー監督の長編デビュー作『私は確信する』は、実際にフランスで起こった未解決の「ヴィギエ事件」に基づく新人離れした完成度の法廷劇だ。

2000年2月、フランス南西部で38歳の女性スザンヌ・ヴィギエが3人の子供を残して忽然と姿を消した。大学の法学部教授の夫ジャックに殺人容疑がかけられるが、彼には明確な動機がなく、決め手となる証拠もスザンヌの遺体も見つからない。その9年後、ジャックの殺人罪を問う裁判が行われる。この物語は、その第一審で無罪となったジャックを検察が控訴する状況から始まる。

物語の主人公になるのは、ジャックの娘と親しく、ジャックの無実を確信するシングルマザーのノラと、ノラが二審の弁護を懇願し、一審の内容をまとめた記録まで持参するその熱意に動かされて引き受ける敏腕弁護士デュポン=モレッティ。その二審の弁護には、一審には間に合わなかった捜査資料が加わる。それが、裁判の証人になる関係者たちが事件後に交わした250時間もの通話記録だ。

「裁判の決め手となるのは印象という不合理な規律」

事件に詳しいノラは、膨大な通話記録を託され、声の主を特定し、隠れた人間関係や事実を探りだし、デュポン=モレッティが法廷で証人の嘘を暴くのに貢献する。だが、裁判に没頭するあまり、息子の面倒やレストランのシェフの仕事がおろそかになり、生活が破綻しかける。

事件の闇と私生活をめぐって、法廷の内と外で繰り広げられるスリリングな展開には、誰もが引き込まれることだろう。だが、ランボー監督が目指したのは必ずしも一級のサスペンスというわけではない。

本作でまず注目する必要があるのは、やはり「Une Intime Conviction」という原題だ。この言葉は、フランス法で「内的確信」を意味する用語であり、日本では「心証」と訳されている。

ランボー監督がこの用語にどのような関心を持ち、独自の視点で掘り下げようとしているのかは、プロローグで示唆されている。その2分ほどのプロローグの計算しつくされた緻密な構成には正直、舌を巻く。

プロローグは大きくふたつに分けられる。まず一審の終盤のある場面だけが切り取られる。カメラは、硬い表情で被告人の席に座り、体を少し前後に揺するジャックだけを映しつづけ、法廷に響く声で、裁判長が陪審員に(刑事訴訟法353条の)説示を行っているところだとわかる。その説示が終わると足音が響き、ジャックは評議室に移動する陪審員たちを目で追う。

裁判長が読み上げるのは以下のような説示だ。


「良心に忠実に従って被告人に対する証拠と弁護が理性に与えた印象を探すこと。法律があなた方にする質問は1つのみです。"心の奥に確信があるか?"」

原題となる用語がまさにそこに出てくる。ちなみにランボー監督は、陪審員に求められる確信について以下のように語っている。


「フランスの裁判における確信とは、宗教のようなものです。(ここで353条が引用されるが、先述の説示と重複するので略す)つまり、決め手となるのは印象という不合理な規律です。確信は感情の一種なのです。これこそが私が語りたいことです」(プレスより)

ランボー監督は、一審の断片を通して印象によって運命が決められようとしている人間の姿を描き、重要なテーマを提示している。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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