コラム

現代アートを題材に、現代社会の不条理を描いた『ザ・スクエア 思いやりの聖域』

2018年04月27日(金)16時30分

そこには、ふたつの要素が作用している。ひとつは偏見といえるが、ゲーテッド・コミュニティを意識するオストルンドの視点は決して単純ではない。その視点は、マイク・デイヴィスの『要塞都市LA』を想起させる。そこには、市場がセキュリティを供給することによる社会の変化が、以下のように説明されている。


「社会が脅威を認識するのは、犯罪率の高さゆえにではなく、セキュリティという概念が流通した結果である。ロサンゼルス・サウスセントラルやワシントンDCのダウンタウンのように、実際に街での暴力事件が急増した場所であっても、死体の山が人種あるいは階級の境界を越えて積み上げられることは滅多にない。だがインナーシティの状況について直接肌で感じた知識を持ち合わせていない白人中産階級の想像力の中では、認識された脅威は悪魔学のレンズを通して拡大されるのだ」

もちろんアメリカとスウェーデンでは格差の度合いがまったく違うが、貧困とは無縁のクリスティアンの頭のなかでは、同じような図式によって脅威が増幅されている。

人間が演じる生き物であること

そして、もうひとつの要素は、この映画で最も強烈な印象を残す場面と関係している。それは、美術館が開催したパーティに、展示中のビデオ・アートで猿のパフォーマンスを繰り広げていた人物が実際に登場する場面だ。完全に猿に成りきった彼のパフォーマンスは次第にエスカレートし、一触即発の状況になるが、出席者たちは必死に平静を装い、なかなか行動を起こそうとはしない。

この場面は、傍観者効果を物語っているが、それだけではない。オストルンドはこれまでの作品で、登場人物たちが、家族や仲間などの集団のなかでいかに自分を演じているのかを描き出してきた。この場面では、猿との対比を通して、人間が演じる生き物であることが強調されている。

それを踏まえると、クリスティアンの行動がより興味深いものになる。たとえば、彼がひとりでスピーチのリハーサルをする場面だ。彼は、スピーチの原稿を読むのを途中でやめ、気が変わったかのように原稿をポケットにしまい、アドリブで話し出す演技の確認をしている。彼は自分を巧みに演出することで人心を掌握し、物事を思い通りに運んできた。だが、周囲の期待に応えて演じるうちに、自分が権力を行使していることに無頓着になっている。

演じることの呪縛

携帯と財布を盗まれたクリスティアンの心理には、偏見や脅威と特権意識が作用しているため、アシスタントの提案を安易に受け入れ、貧困層を犯罪者扱いするような行動をとってしまう。

筆者は先ほど傍観者効果について、目撃者の数が多いほど、行動を起こす人が減ると書いたが、そこに付け加えるべきことがある。それは、目撃者がひとりであれば自身の直観に従ってとる行動が、複数になると抑止されてしまうということだ。

この映画の導入部では、複数の通行人が助けを求める声を耳にする。これに対して、終盤では、自宅でひとりになったクリスティアンが、助けを求める声を耳にする。そのとき彼は、演じることの呪縛を解かれ、自分と向き合い、本心を吐露することになる。

《参照/引用文献》
『要塞都市LA』マイク・デイヴィス 村山敏勝+日比野啓訳(青土社、2001年)


『ザ・スクエア 思いやりの聖域』
(C) 2017 Plattform Produktion AB / Société Parisienne de Production / Essential Filmproduktion GmbH / Coproduction Office ApS
公開:4月28日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamura ル・シネマ、立川シネマシティほか全国順次ロードショー

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

EXCLUSIVE-FRB、シティへの改善勧告を解

ビジネス

英、金融指標の規制見直し 業界負担を軽減

ワールド

韓国、ウォン安への警戒強める 企画財政相「必要なら

ワールド

米、台湾への新たな武器売却承認 ハイマースなど11
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 5
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 6
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 7
    【銘柄】「日の丸造船」復権へ...国策で関連銘柄が軒…
  • 8
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 9
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 10
    9歳の娘が「一晩で別人に」...母娘が送った「地獄の…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 4
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 5
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 6
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 7
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 8
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 9
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 10
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story