コラム

あの太地町から「捕鯨論争」に新たな光を当てる 映画『おクジラさま』

2017年08月31日(木)17時30分

太地町でも、環境保護団体によって残酷さに焦点をあてた情報が繰り返し世界に発信されている。そこで確認しておかなければならないのが、アラバスターの発言にあった「象徴」という言葉だ。あざらし戦争では、具体的な標的が残酷の象徴となったことで、あざらし猟師、アラスカ、カナダ、グリーンランドのエスキモー、カナダ東部の漁民の生活が脅かされることになった。

この映画に登場するシーシェパード代表は、「ここ(太地町)でイルカ漁や屠殺を止めれば、日本全国、そして世界中でやめさせられるかも知れない」と語る。統計によれば日本でイルカの捕獲量が最も多いのは岩手県だが、漁が沖合いで行われるため、簡単に見ることができない。これに対して、太地町の追い込み漁は先述したように高台から見下ろせるので、標的となる。

残酷さを駆逐していこうとすれば、人間と動物の関係は失われる

しかし、目に見える残酷さに焦点をあて、大衆を動かし、残酷さを駆逐していこうとすれば、人間と動物の関係は失われるか、見えなくなっていくだけだろう。前掲書でヘンケは、環境保護団体のPRに動かされる大衆も犠牲者と表現しているが、そんな残酷さで単純化された図式から抜け出すためには、人間と動物の関係を根本から見直す必要がある。たとえば、世界の動物殺しを主題とした『動物殺しの民族誌』に収められた山田仁史の「供犠と供犠論」には、以下のような記述がある。


「そもそも人類は狩猟採集の時代から、動物を殺して食わねば生きてゆけない、という現実と向き合ってきた。そうした動物殺しの行為を宗教的文脈においていわば様式化し、儀礼化したのが本章で見てきた供犠である。他方、世俗的社会において高度にシステム化されているのが、現代における屠畜であろう。しかしその現場はますます一般人の目からかくされ、不可視の領域へ追いやられている。結果として、メディアで報じられる動物殺しの生々しさに、過剰に反応する人たちも出てくる」

一方、この映画では、太地町もそんな人間と動物の関係の見直しを迫られているように見える。「日本の古式捕鯨発祥の地」として知られ、クジラ・イルカ漁の豊かな歴史と伝統を誇るこの町にも変化の波が押し寄せてきている。

太地町小学校の校長は、子供にとってクジラが身近な存在ではなくなり、一般家庭でも鯨肉を食べる生活習慣が失われてきていると語る。ある太地町議会議員は、イルカ漁に反対でも賛成でもなく、食の安全と子供の健康を重視する。太地町の前町長は、町が生き残っていくために観光への転換を進め、くじらの博物館などを作った。捕獲されたイルカは、水族館にも売られているが、イルカ漁がそうした産業に支えられているとすれば、伝統や文化とは違う主張が必要になる。現町長は、クジラを研究することで栄える町を作り、20年後には『ザ・コーヴ』のイメージを払拭したいと語る。

人間は食べなければ生きていけないのだから、残酷さも含めた動物との本源的な関係を積極的に見直していく必要がある。そうしなければ、目に見える残酷さが生み出す力によって、世界が作りかえられていくことになるだろう。

《参照/引用文献》
『あざらし戦争――環境保護団体の内幕』ジャニス・S・ヘンケ 三崎滋子訳(時事通信社、1987)
『動物殺しの民族誌』シンジルト・奥野克巳編(昭和堂、2016)


『おクジラさま ふたつの正義の物語』
監督:佐々木芽生
(c)「おクジラさま」プロジェクトチーム
公開:9月9日(土)より、ユーロスペースほか全国順次ロードショー

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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