コラム

「交渉の達人」中国に尖閣で勝つ方法

2010年09月22日(水)14時42分

 日々の生活のあちこちで値切り交渉を繰り広げる中国人は交渉の達人である。生れ落ちた瞬間から「討価環価(値切り交渉)」の駆け引きで鍛えられている中国人と、定価で物を買うことに慣れきったわれわれ日本人の交渉力は、極端な話プロレスラーと赤ちゃんぐらいの差がある。

 筆者が今から8年ほど前に北京に留学していたころ、Tシャツなどの衣類(あまり大きな声では言えないが、たぶん偽物)を街角の市場で買うときには「売り子の言い値の10分の1(あるいは20分の1)スタート」というのが留学生仲間のコンセンサスだった。

 100元(当時のレートで約1500円)の値札が付いているものを、10元(150円)とか5元(75円)と値踏みされるわけだから、外国人客だと半ばなめてかかっている中国人の売り子は当然激怒する。ここで本当にケンカをしてしまっては負けで(筆者はそれで何回か失敗した)、相手とうまく話を続けながら「じゃあもう帰る!」と半ば本気で立ち去ろうとしたとき、売り子が追いかけてきて「20元(300円)でいい」とか、場合によっては「15元(225円)でいい。ただしほかの客には内緒だよ」と折れてくる――というのが「勝ちパターン」だった。

 ただ相手はいずれも歴戦の重量級選手ばかりなので、毎回この必勝方程式通りに行くはずもなく、個人的な勝率は20%ぐらいだったと記憶している。日本人にとってはかなり慣れない体験なので、1回交渉すると心身ともに疲弊し切る。たかだか日本円で数百円をまけさせるためにヘトヘトになるのは割に合わない気もしたが、中国人の国民性とその交渉力を理解するうえではとても役に立った。

 沖縄・尖閣諸島沖での海保巡視船と中国漁船の衝突事件をきっかけに、日中の対立がヒートアップしている。日本側が切った船長の勾留延長というカードに対して、中国側は青年訪中団の受け入れ延期というカードで返してきた(SMAPの上海公演のチケット販売中止もそうかもしれない)。次に日本政府が切るカードは船長の起訴か起訴猶予のどちらかだが、漁船が自ら巡視船に体当たりしてきたという報道が正しければ、起訴猶予はないだろう。

 船長が起訴されたら中国はおそらく今より激しい反応を示すはずだ。そうなったとき、日本はどうすべきか。対中国人の交渉の「必勝パターン」からすると、同じように激怒するのは最悪である。相手の怒りを受け止め、コミュニケーションを維持しつつ、うまく落としどころを探る。すっかり国際問題化しているが、今回の事件の直接の罪状は最大で懲役3年という比較的軽い公務執行妨害罪に過ぎない。公務執行妨害の昨年の実刑率は25%。初犯なら執行猶予付き有罪判決もしくは罰金刑で終わって帰国、となる可能性が高い。そこまで日本がブチ切れず持ちこたえられれば、事態はおのずから収束していく。

 約2万2000キロの国境線をかかえる中国は、これまでさんざん隣国と国境紛争を繰り返してきた。だが経済成長が加速する90年代以降は急速に隣国との関係を改善し、現在では陸地で国境を接する14カ国のうちインドとブータンを除く12カ国と国境画定作業を終えている。陸が終われば次は海、というわけで、南沙諸島や西沙諸島、そして尖閣諸島で海の「国境画定」に乗り出した――という現状らしい。

 もちろん中国の主張に唯々諾々とするイエスマンである必要はない。石油資源の存在が明らかになった68年以降、中国や台湾が急に領有権を主張しだしたのは明らかに後出しジャンケンである。ただ中国の反応にいちいち癇癪を起こしても結果的に「国益」は失われる。「毅然とした態度」とは、華僑の子供たちが通う中華同文学校に脅迫状を送ることではないはずだ。

 今週号の週刊文春が「中国衝突漁船は『スパイ船』だった!」という記事を載せている。現場海域を不審な無線が飛び交っていたことなどを根拠に、漁船は日本政府の出方を探る狙いで派遣された「スパイ船」だった――という内容だ。漁船がスパイ船かどうか断定する材料を筆者は持ち合わせていないが、その行動から判断すると、怒りに任せてというよりも、何らかの意図をもって巡視船に衝突してきたと考えるのが自然だろう。

 国家は互いに外交カードという「言語」を通じて高度なコミュニケーションをしている。今回の衝突もある種のコミュニケーションと言えなくもない。中国側の激しい反応には、国内の保守派や南沙諸島や西沙諸島を争うほかの国向けのパフォーマンスの意味もあるだろう。ひょっとしたら、来月に開催される共産党中央の「5中全会」をめぐる権力闘争と関係があるのかもしれない。

「交渉の達人」中国の怒りのポーズに踊らされたら、それこそ彼らの思うツボだ。

――編集部・長岡義博

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米国とスイスが通商合意、関税率15%に引き下げ 詳

ワールド

米軍麻薬作戦、容疑者殺害に支持29%・反対51% 

ワールド

ロシアが無人機とミサイルでキーウ攻撃、8人死亡 エ

ビジネス

英財務相、26日に所得税率引き上げ示さず 財政見通
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 3
    文化の「魔改造」が得意な日本人は、外国人問題を乗り越えられる
  • 4
    『トイ・ストーリー4』は「無かったコト」に?...新…
  • 5
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 6
    「水爆弾」の恐怖...規模は「三峡ダムの3倍」、中国…
  • 7
    中国が進める「巨大ダム計画」の矛盾...グリーンでも…
  • 8
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 9
    「不衛生すぎる」...「ありえない服装」でスタバ休憩…
  • 10
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 5
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 6
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 7
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 8
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 9
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 10
    レイ・ダリオが語る「米国経済の危険な構造」:生産…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story