コラム

胡錦濤を呼びつけた金正日

2010年08月31日(火)13時31分

「将軍様」金正日総書記の隠密訪中がやっと終わった。5月の訪問からわずか3カ月後の再訪◇いつもの遼寧省丹東経由ではなく吉林省集安経由という入国ルート◇首都の北京を訪れない......というとにかく異例ずくめの「非公式訪問」だった。

 特に異様に映ったのは、金正日が会談のためとはいえ胡錦濤主席を吉林省の省都・長春に「呼びつけた」こと。94年に事実上北朝鮮の最高指導者に就任したあと、金正日は今回を除いて5回中国を訪問し、毎回中国の国家主席(最初の2回は江沢民、後は胡錦濤)と会談しているが、いずれも金正日が北京を訪問して面会していた。

 いくら自分が訪問しているとはいえ、中国は北朝鮮よりはるかに国力が大きく、しかも核問題や食糧難もろもろで世話をかけ倒している国である。その中国のトップにわざわざ出てこさせるというのは、金正日が胡錦濤より1歳年長であることを差し引いてもバランスを欠く。

 カーター元米大統領の訪朝翌日に出国していることから、今回の訪中の目的の1つがカーターとの面会を避けることにあったのは間違いない。「面会謝絶」は追加制裁を発動するようなオバマ政権とは話はしない、というアメリカ向けのメッセージである。

 米外交専門誌のフォーリンポリシーがカーター訪朝を最初に報じたのは8月23日。北朝鮮側がそれから急きょ訪中を準備して3日後の26日に出発した――というのはいくらなんでもありえないが、もともとあった計画を(かなりのスピードで)前倒しした可能性はあると思う。それなら今回のルートの迷走ぶり(韓国メディアはハルビン訪問を「予想外」と報じている)も説明できる。

 少なくとも中国側は今回の訪中について「党と党の間のこと」という立場を取っている。国家行事ではないなら、党総書記(国家主席でもあるが)が「長春出張」してもメンツ上は問題なし......という解釈も、かなり無理やりではあるが成り立つ(毎回振り回される中国側にはかなりフラストレーションがたまっているだろうが)。

 主な訪問先がなぜ吉林省だったかという問題は、この省の共産党委員会書記が孫政才という次の次の中国のトップを争う人材であることと関係がありそうだ。三男ジョンウンの同行の有無は今のところ未確認だが、金正日の吉林省内の視察先に孫書記が同行する姿がCCTV(中国中央電視台)のニュース映像で確認できる。次世代の指導者同士の顔合わせのつもりだったのかもしれない。

 吉林省は父親の金日成が暮らした「革命のゆりかご」であるだけでなく、金正日自身も一時生活した土地である。といってもそれは輝かしい過去ではない。朝鮮戦争開戦から約4カ月後の1950年10月、北朝鮮軍が国連軍に中朝国境まで押し戻されると金日成が金正日を吉林省に脱出させた、とされていたが、今回の訪中で金自身が図らずも「吉林はかつて私自身が生活した土地」と語ったことで、それが事実だったことが裏付けられた。

 それにしても際立っていたのは金正日の血色のよさ。国内は水害と食糧難でまた火の車......のはずなのに、将軍様はすっかり以前のふくよかさを取り戻したように見える。リーダーの顔色と国の情勢は必ずしも相関関係にないかもしれないが、少なくとも「崩壊」にはまだほど遠い、と思わせる恰幅のよさだった。

 ひょっとして今回の訪中、将軍様親子のちょっと遅めの夏休み旅行だったのかもしれない。

――編集部・長岡義博

プロフィール

ニューズウィーク日本版編集部

ニューズウィーク日本版は1986年に創刊。世界情勢からビジネス、カルチャーまで、日本メディアにはないワールドワイドな視点でニュースを読み解きます。編集部ブログでは編集部員の声をお届けします。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:「豪華装備」競う中国EVメーカー、西側と

ビジネス

NY外為市場=ドルが158円台乗せ、日銀の現状維持

ビジネス

米国株式市場=上昇、大型グロース株高い

ビジネス

米PCE価格指数、インフレ率の緩やかな上昇示す 個
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 3

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 4

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 5

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 6

    アカデミー賞監督の「英語スピーチ格差」を考える

  • 7

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 8

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 9

    大谷選手は被害者だけど「失格」...日本人の弱点は「…

  • 10

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 10

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈する動画...「吹き飛ばされた」と遺族(ロシア報道)

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story