コラム

なぜロシアは今も「苦難のロシア」であり続けているのか

2022年06月04日(土)17時29分

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ロシア連邦の初代大統領になったエリツィン(左)。民主主義と市場経済を取り入れたが社会は無秩序状態に

1991年にソ連が崩壊した時、新たに成立したロシア連邦のエリツィン大統領は、共産主義を排撃し、これからは自由・民主主義と市場経済でやっていくと宣言した。その結果、何が起きたか。自由とは、「なんでもあり」のことと間違って解釈された。ソ連時代はなんでも国営化されていたが、それが払い下げ、民営化の対象となる。

役人とのコネを持つ者が早い者勝ちで、いろいろなものを「民営化」、つまり私有化していく。互いにマフィアを使って邪魔者を「除いて」いく。昼日中でも市中でマフィアが撃ち合い、筆者はその死体が転がる脇を車を運転して大使館に通ったものだ。つまり当時のロシアでは、民主主義は無秩序の代名詞となったのだ。 

自分の自由と権利だけ主張すれば混乱が生ずるが、他人の自由と権利も尊重すれば、そこには自発的に法とルールを守る自律的な社会が現れる。いつもうまくいくわけではないが、そういうことを自覚し、家庭でも教えられて育ってきた人間が多い社会が近代の市民社会なのである。こうした思想は17世紀のイギリスの思想家ジョン・ロックなどが唱え、アメリカなどの憲法に明示的に取り入れられている。

しかしロシアにこの伝統は成立しなかった。1990年代、「自由・民主主義」の上っ面だけを取り入れ、大混乱が生じたことで、世論調査は「自由などというたわ言より、秩序維持のほうがよほど大事」という結果を示すようになったのである。

欧米の青年には周囲の状況、できることとできないことの境界を自分で見極め、その中で「個」としての自分ができることを切り開いていく気概がある。ところがロシアの学生には日本と似て、社会の既存の枠に乗り、小さな居場所をつくってちまちまと、という雰囲気が感じられる。「個」の重み。それは西欧の伝統である。中世西欧の農村は「個」どころの話ではなかったが、都市のインテリ層の精神は14〜16世紀のルネサンス、16世紀の宗教改革でカトリック教会への盲従から解き放たれ、科学・芸術・経済発展への道を開いた。

それに比べ近世のロシアでは「個」の解放の逆、つまり権力への隷属化が起きた。既に述べた、自由都市ノブゴロドの市民をイワン雷帝が虐殺したことが象徴的だが、その後17世紀初め、諸侯は領地の農民たちを土地に縛り付け、移動の権利を奪っている。この農奴制は1861年農奴解放令が発せられるまで、実に200年以上続くのだが、その間国民の圧倒的多数が権利を奪われていたことになる。

プロフィール

河東哲夫

(かわとう・あきお)外交アナリスト。
外交官としてロシア公使、ウズベキスタン大使などを歴任。メールマガジン『文明の万華鏡』を主宰。著書に『米・中・ロシア 虚像に怯えるな』(草思社)など。最新刊は『日本がウクライナになる日』(CCCメディアハウス)  <筆者の過去記事一覧はこちら

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