コラム

瀬戸際の元徴用工問題、日本は自ら解決の道を閉ざすな

2020年08月13日(木)21時10分

しかしながら、この様な措置により、日本政府が韓国政府に大きな圧力をかけ、彼らをして譲歩へと追い込めるかと言えば、それは極めて難しい。短期ビザ免除の停止は、韓国側よりも寧ろ日本側観光業にダメージの大きい施策であり、ただでさえ新型コロナ禍により深刻な状況に直面している同業種に致命的な打撃を与えかねない。2017年には700万人を超えた韓国人観光客が大きく減少すれば、その影響はコロナ以後の観光業にとって極めて大きなものとなる。そもそも新型コロナ禍により、現実の人々の動きは既に止まっており、これにより新たな状況が生じる訳ではなく、それにより韓国に具体的な影響がある訳がない。寧ろ結果として、コロナ以後に韓国から海外に向かう観光客が他国へと足を向ける結果になるのは目に見えている。

他方、追加関税の導入をはじめとする貿易に関わる措置は、それが元徴用工問題に関わる報復措置である事が明らかな形で安易に実施された場合には、WTOのルール違反となってしまう可能性が高い。そもそも昨年7月、韓国との関係が悪化する中、日本政府が自らの措置を「安全保障上の理由による輸出管理措置」という形で行ったのも、一面では、これによりWTOのルールに抵触しない形を作る為だった。現在の国際社会では自由貿易体制を維持する為に様々なルールが作られており、だからこそ歴史認識問題という、経済とは全く異なる次元にある問題を理由に、一方的な対抗措置を取る事は極めて難しい。

日韓ともに決定打なし

勿論、現在のWTOは上級委員会が機能停止した状態にあり、その動きを恐れる必要はない、という意見もあるかもしれない。しかし、それでは、これまで「自由貿易体制の維持」を、国際社会における自らの主要な主張の一部としてきた日本政府の立場と大きく衝突してしまう事になる。自由貿易体制の維持が、わが国にとって重要な事は明らかであり、これを「たかが」日韓の歴史認識問題で損なってしまうのでは、本末転倒と言うべきだろう。

もっとも、であれば状況は韓国に有利なのか、と言えばそれもまた誤りである。何故なら日本が韓国に対して自らの意見を押し付ける力や手段を有していない以上に、韓国もまた、日本に対して自らの意思を貫徹させるに足る手段を有していないからである。日本の輸出管理措置発動への反発としてはじまった韓国国内における大規模な日本製品や日本への観光旅行のボイコットは、九州の観光業界など経済界の一部に大きな影響を与えたものの、それにより日本政府の施策や世論を変える効果までは持たなかった。一連の問題について、文在寅政権は事態を悪化するままに放置しており、そこに問題解決の為の真摯な姿勢を見出す事はできない。そもそもグローバル化が進む今日においては、どこか一カ国のみの経済的圧力で、他国の政治的動きを変えさせるなど、ほぼ不可能な事なのだ。

プロフィール

木村幹

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。また、NPO法人汎太平洋フォーラム理事長。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。最新刊に『韓国愛憎-激変する隣国と私の30年』。他に『歴史認識はどう語られてきたか』、『平成時代の日韓関係』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(読売・吉野作造賞)、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『高宗・閔妃』など。


あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

EXCLUSIVE-米ロ、ウクライナ和平交渉と並行

ワールド

タイ中銀、金融緩和の継続必要 景気下支え=議事要旨

ワールド

レバノン、31日にヒズボラの武装解除計画提示と米特

ビジネス

中国工業部門利益、7月は前年比1.5%減 3カ月連
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 2
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 3
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪悪感も中毒も断ち切る「2つの習慣」
  • 4
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 5
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 6
    「美しく、恐ろしい...」アメリカを襲った大型ハリケ…
  • 7
    イタリアの「オーバーツーリズム」が止まらない...草…
  • 8
    「ありがとう」は、なぜ便利な日本語なのか?...「言…
  • 9
    【クイズ】1位はアメリカ...稼働中の「原子力発電所…
  • 10
    【写真特集】「世界最大の湖」カスピ海が縮んでいく…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 3
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家のプールを占拠する「巨大な黒いシルエット」にネット戦慄
  • 4
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 5
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 6
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 7
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 8
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 9
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 10
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story