コラム

瀬戸際の元徴用工問題、日本は自ら解決の道を閉ざすな

2020年08月13日(木)21時10分

それでは状況は放置すれば良いのか、といえばそうではない。2018年10月の元徴用工に関わる韓国大法院の判決は、それが植民地支配違法論の立場に立ち、故にここから広範な範囲の日本企業や個人、更には政府に対する慰謝料が発生し得る構造になっている。ある韓国人研究者の言葉を借りれば、この判決により理屈上「5000万人以上の韓国人全員が慰謝料請求権を持っている」と言っても良い状況が生まれており、仮に韓国政府がこの状況を放置し続ければ、影響を受ける範囲は際限なく拡大する可能性もある。日本の企業や個人が韓国国内に有する資産は膨大であり、その中には特許使用料の様に事実上、撤収不可能なものも含まれている。つまり、元徴用工問題に関わる韓国大法院判決を巡る問題は、外交関係や経済関係の大小に関わらず、それが未解決である限り、我々に永遠に付きまとう性格のものなのである。

日本側も韓国側も、自らの力単独ではこの問題を解決する能力を有しておらず、また双方の司法の判断が分かれ、国民間の反発が高まる中、妥協する意思をも持っていない。だとすれば、できる事はただ一つ、国際社会を利用して、この問題に明確な決着をつける事だ。日韓両国の植民地支配等に関わる財産権の処分を決めた請求権協定では、その第三条において、両国において同協定を巡る対立が生じた場合、まず外交的な手段を以てその解決を試み、更にこの外交的な手段で解決ができなかった場合には、仲裁委員会を設置してこれを解決する事を定めている。だから、とりあえずは、これを徹底的に使えばいいという事になる。

日本政府は韓国国民の理解を求めよ

そして重要な事がある。それはこの点については、韓国側に明確な瑕疵が存在する事だ。即ち、文在寅政権は元徴用工に関わる大法院判決を巡る問題について、この問題は法律に関わる問題であり、故に司法の判断を尊重する、という主張を行っている。にも拘わらず、その一方で韓国政府は、この請求権協定第三条における仲裁委員会の設置については、明らかな不作為を見せている。この両者は、問題を法律によって解決する、という意味では矛盾した行為である。仮に韓国政府や世論が自らの主張に自信を持ち、それが正しいと信じているなら、それを堂々と国際社会の前で訴え、法律的に解決すれば良い筈だから、このやり方はお世辞にもフェアとは言えない。加えて、彼らは輸出管理措置に関わる問題では、WTOの場を利用して、この問題を解決しようとしており、故に、両国対立の本丸とでもいえる請求権協定に関わる問題で、国際社会の前で同じ事ができない理由は何もない。この法律に基づいて国際社会の場において問題を解決するという点においては、韓国政府が自らの有利不利に応じて態度を変えている事は明らかであり、ここを日本側が責めない理由は何もない。

だからこそ、日本政府もまた、自らの主張に自信を持っているなら、国際社会での解決を堂々と訴えかけて行けばいい。そしてその場合、訴える対象となるのは韓国政府ではなく、国際社会とそして何よりも韓国の世論、国民であるべきだろう。朴槿恵弾劾運動に典型的に表れた様に、今日の韓国において世論は、政治に対して圧倒的な影響力を持っている。ましてや、2022年5月に次の大統領選挙を控える韓国では、来年の後半には各党の予備選挙も開始される事になる。だからこそ、この様な状況において、韓国世論が国際社会で日本との決着をつける事を望むなら、韓国の政治家達がこれに抗せる筈はない。

プロフィール

木村幹

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。また、NPO法人汎太平洋フォーラム理事長。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。最新刊に『韓国愛憎-激変する隣国と私の30年』。他に『歴史認識はどう語られてきたか』、『平成時代の日韓関係』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(読売・吉野作造賞)、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『高宗・閔妃』など。


あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ガザの生存人質20人全員解放、イスラエル軍発表

ビジネス

トヨタ、「センチュリー」をブランド展開 「レクサス

ワールド

中国、政府非公認教会の牧師数十人拘束

ワールド

マダガスカルでクーデターの試みと大統領、兵士が抗議
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:中国EVと未来戦争
特集:中国EVと未来戦争
2025年10月14日号(10/ 7発売)

バッテリーやセンサーなど電気自動車の技術で今や世界をリードする中国が、戦争でもアメリカに勝つ日

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以外の「2つの隠れた要因」が代謝を狂わせていた
  • 2
    中国人が便利な「調理済み食品」を嫌うトホホな理由とは?
  • 3
    メーガン妃の動画が「無神経」すぎる...ダイアナ妃をめぐる大論争に発展
  • 4
    時代に逆行するトランプのエネルギー政策が、アメリ…
  • 5
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 6
    「中国のビットコイン女王」が英国で有罪...押収され…
  • 7
    連立離脱の公明党が高市自民党に感じた「かつてない…
  • 8
    筋肉が目覚める「6つの動作」とは?...スピードを制…
  • 9
    車道を一人「さまよう男児」、発見した運転手の「勇…
  • 10
    【クイズ】日本人が唯一「受賞していない」ノーベル…
  • 1
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 2
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな飼い主との「イケイケなダンス」姿に涙と感動の声
  • 3
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレクトとは何か? 多い地域はどこか?
  • 4
    【クイズ】日本人が唯一「受賞していない」ノーベル…
  • 5
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 6
    祖母の遺産は「2000体のアレ」だった...強迫的なコレ…
  • 7
    中国人が便利な「調理済み食品」を嫌うトホホな理由…
  • 8
    ロシア「影の船団」が動く──拿捕されたタンカーが示…
  • 9
    ベゾス妻 vs C・ロナウド婚約者、バチバチ「指輪対決…
  • 10
    赤ちゃんの「耳」に不思議な特徴...写真をSNS投稿す…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 3
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 4
    カミラ王妃のキャサリン妃への「いら立ち」が話題に.…
  • 5
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 8
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 9
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 10
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story