コラム

英首相邸への放火はロシアの危険な新局面? いや、「原点回帰」だ

2025年06月04日(水)14時44分

スクリパリ暗殺未遂事件では神経剤ノビチョクが無謀に使われたことに、イギリス人はいっそう嫌悪感を募らせた。

スクリパリの娘ユリアの殺害も狙うことになり、さらには他のイギリス人の命まで危険にさらされる可能性が高いことを意味するからだ(実際、女性1人が死亡し、警察官1人と男性1人が重症を負った)。


だが、驚くべきことではない。独裁政権はしばしば反体制派の家族を標的にするが、それは効果的な抑止力になるからというおぞましい理由のためだ。勇敢な人間は自分の信念のために命を危険にさらすこともいとわないかもしれないが、それが身近な人々を危険にさらす場合はまた問題が違ってくる。

スターリン時代のロシアでは、政治犯の配偶者は強制収容所に送られ、財産は没収され、子供たちは孤児院に入れられた。この慣行は後ろ暗い秘密ではなく、ソ連法に明記されていた。

巻き添え被害は意に介さず

一方、ロシアが「巻き添え被害」に無関心なのは、モスクワ郊外の劇場で02年に発生したテロリストによる襲撃事件でも見て取れる。当局は制圧のため換気設備を介して軍用ガスを投入し、約130人の民間人が死亡(そのほとんどがロシア人)、数百人が負傷した。だが、劇場を占拠した40人のチェチェン人テロリストを殺害できたため、大成功とみなされたのだ。

もちろんロシアは、政権の欠点と腐敗を暴こうとするロシア人ジャーナリストたちに対し、嫌がらせや脅迫、殺害を常套的に行ってきた(アンナ・ポリトフスカヤは顕著な例だ)。ブルガリア人ジャーナリストをイギリスから誘拐しようとしたことも、実際のところは新局面というわけではない。1978年、ロンドン中心部でブルガリア人の反体制派ジャーナリスト、ゲオルギー・マルコフがブルガリア工作員に殺害された事件も、ほぼ確実にKGBが関与していた。

ロシアはエストニアやウクライナなどの旧領土を、自由国家というよりもむしろ反抗的な属州と見なしている。東欧を「勢力圏」と捉え、自らは同地域の当然の支配者で、西側は敵とみなす。

ロシアはあらゆるロシア人に忠誠を求めるが、相応に国家が国民に奉仕する義務は、決して負わないのだ。

ニューズウィーク日本版 韓国新大統領
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年6月10日号(6月3日発売)は「韓国新大統領」特集。出直し大統領選を制する「政策なきポピュリスト」李在明の多難な前途――執筆:木村 幹(神戸大大学院教授)

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

アングル:中国製電子たばこに関税直撃、米国への輸入

ワールド

日米関税協議、「一致点見いだせていない」と赤沢氏 

ワールド

米中、9日にロンドンで通商協議 トランプ氏が発表

ビジネス

NY外為市場=ドル上昇、雇用統計受け利下げ急がずと
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:韓国新大統領
特集:韓国新大統領
2025年6月10日号(6/ 3発売)

出直し大統領選を制する李在明。「政策なきポピュリスト」の多難な前途

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    50歳を過ぎた女は「全員おばあさん」?...これこそが、今どきの高齢女性の姿
  • 2
    猫に育てられたピットブルが「完全に猫化」...ネット騒然の「食パン座り」
  • 3
    脳内スイッチを入れる「ドーパミン習慣」とは?...「朝の1杯」と「心地よい運動」の使い方
  • 4
    日本の女子を追い込む、自分は「太り過ぎ」という歪…
  • 5
    壁に「巨大な穴」が...ペットカメラが記録した「犯行…
  • 6
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害…
  • 7
    プールサイドで食事中の女性の背後...忍び寄る「恐ろ…
  • 8
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 9
    ガザに向かうグレタ・トゥーンベリの支援船から救難…
  • 10
    ウーバーは絶体絶命か...テスラの自動運転「ロボタク…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊の瞬間を捉えた「恐怖の映像」に広がる波紋
  • 3
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシストの特徴...その見分け方とは?
  • 4
    ペットの居場所に服を置いたら「黄色い点々」がびっ…
  • 5
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 6
    猫に育てられたピットブルが「完全に猫化」...ネット…
  • 7
    日本の女子を追い込む、自分は「太り過ぎ」という歪…
  • 8
    3分ほどで死刑囚の胸が激しく上下し始め...日本人が…
  • 9
    ウクライナが「真珠湾攻撃」決行!ロシア国内に運び…
  • 10
    「ホットヨガ」は本当に健康的なのか?...医師らが語…
  • 1
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 2
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 6
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 7
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 8
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
  • 9
    ペットの居場所に服を置いたら「黄色い点々」がびっ…
  • 10
    3分ほどで死刑囚の胸が激しく上下し始め...日本人が…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story