コラム

「チェスは時間の無駄、金の無駄」のサウジでチェス選手権の謎

2018年01月26日(金)17時35分

国交のないイスラエル、イラン、カタールの選手は?

さて、もう1つの問題は政治である。イスラエル、イランおよびカタル(カタール)というサウジアラビアと国交のない、あるいは現在国交を断絶している国からの参加者をどうするのか。これも、サウジ大会での大きな関心事であった。

結果的にいうと、カタルとイランの選手にはビザが発給された。しかし、両国チェス協会は、参加を取りやめた。理由はよくわからない。

カタルについては、サウジアラビアから治安上の理由で試合中にカタル国旗を出すなとの要請があったが、カタル側がそれを拒否したためとの説がある。一方でサウジ側がカタルに妥協して、カタル国旗を出すのを認めていたとの報道もあった。どちらが正しいのか、わたしには判断がつかなかった。残念ながら、イランについても不参加決定の理由について調べきれなかった。

サウジアラビアが国交をもたない、もう1つの国、イスラエルはどうだろう。イスラエルについては、両国とも反イランということで、近年政治的に急速に接近しつつあるとの説が強い。

したがって、今回の選手権でもイスラエル選手にビザを発給するのではないかとの観測も出ていたが、結果的にいうと、イスラエル人プレーヤーにはビザは出なかった。このあたりは、サウジアラビアとしても筋は通したというところだろうか。

「チェスはハラーム(禁止)だ」と最高宗教権威

なお、わたし自身にとって、今回のサウジアラビアのチェス大会を考えるうえでもっとも重要な要素は、女性の服装でも、外交問題でもない。チェスそのものの是非である。実は2015年末、サウジアラビアの最高宗教権威、アブドゥルアジーズ・アールッシェイフは、チェスがイスラームでは許されないとの宗教判断を下していたのだ。

彼はクルアーンの第5章90節の「これ、汝ら、信徒の者よ、酒と賭矢と偶像神と占矢とはいずれも厭うべきこと。シャイターンの業。心して避けよ。さすれば、汝ら運がよくなろう」(クルアーンの訳は岩波文庫版から)を引用し、チェスは時間の無駄、金の無駄、ケンカや諍いの原因だと主張したのである。彼にとっては、チェスとは賭け事であり、また、夢中になりすぎて、何よりも大切な神のことを忘れさせるものでもあった。

ちなみにいうと、チェスを禁止しているのは、サウジアラビアのワッハーブ派(ハンバリー派)だけではない。スンナ派公認法学派は、シャーフィイー派を除き、チェスはハラーム(禁止)だと主張している。

シーア派でも同様だ。だから、イランでもイスラーム革命後、一時期チェスは非合法とされていた。もっとも、そのイランでも今はチェスが解禁されているし、アラブ諸国でも、チェスを禁止している国はないはずだ。サウジアラビアでも昔からサウジアラビア・チェス協会は存在していたし、チェスを娯楽として楽しんでいた人も少なくなかった。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究顧問。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授、日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長等を経て、現職。早稲田大学客員上級研究員を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

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