コラム

シャイな東京人はアンケートに人とのつながりを託す

2009年05月08日(金)13時22分

今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

Anketo Tokyo
お花見でも、卒業式でも、街角でも、あらゆる場所で配られるアンケートは、名前は出したくないけれど意見を言いたい東京人にはぴったりのコミュニケーションツールだ

 4月初めのその日、私は楽しい空想にふけりながら美しい桜の花の下を歩いていた。ふと、ピンク色に染まった道の途中に白いテントと小さなテーブルがあるのに気付いた。花見客向けの案内所だ。無料の地図と桜の保護のための募金箱が置いてある。その横で多くの人がテーブルにかがみ込み、何かを書いている。よく見てみると、彼らが書いているのはアンケートではないか!

「お花見アンケート」なるものに出くわしたことのない私は、少し驚いた。だが散策の足や写真を撮る手を止めて、小さな記入欄に意見を書き込むことを誰も奇妙に感じていないらしい。この街ではアンケートに答えることが、あまりに日常だからだろう。

 私はその1週間前に、勤めている大学の卒業式に出席したばかりだった。卒業式では毎年、きれいな袴やおろしたてのスーツ姿の学生が将来についてのアンケートに記入する。私は他の教員たちと並んで座り、じっとそれを見守る。学生たちにとってこのアンケートこそ、「社会人」になるための最後の関門であるかのようだ。

 だが学生たちよ、心してほしい。東京という街はアンケートであふれている。本のページの間に挟み込まれ、買ったばかりの電化製品の箱から顔を出し、レジの横のラックに詰め込まれ、音楽やダンスの公演でも手渡される。繁華街では名札を付けた元気いっぱいの調査員が、クリップボードとペンを手に待ち構えている。

 広大で複雑な東京の情報伝達網を支えているのがアンケートなのかもしれない。東京ではあらゆる手続きに長々と書類を書かされるが、簡潔なアンケートはいわばその「俳句」版だ。

■松尾芭蕉も奥の細道でアンケートを書いた?

 紙切れ1枚のアンケートは、東京という巨大都市の中ではいかにも頼りなさそうなコミュニケーション手段だ。だからこそ私はアンケートを愛している。

 アンケートはフランス語で「尋ねる」を意味する言葉だが、その目的は質問することだけではない。データを集め、意見を求め、人と人を結ぶ。いずれも紙を使うほうが手軽にできる。

 情報が赤外線や光ファイバー経由で高速で飛び交う現代では、遅くて古臭いやり方に思えるのは確かだ。それでもなぜか東京では、情報を集め、伝達するという重要な役目を今も紙が担っている。そう、ここはアンケートの街だ。

 もしかすると、アンケートはコンピューター化の波の谷間に残された大昔の遺物なのかもしれない。松尾芭蕉は奥の細道を巡りながらアンケートを書いたのだろうか。安藤広重や葛飾北斎は、東海道沿いの風景をスケッチする合間にアンケートに答えたのだろうか。「ご宿泊はいかがでしたか。サービスにご満足いただけましたか」。考えてみれば、どれも昔から変わらない日本人の気配りの表れだ。アンケートは礼儀を重んじる日本の文化に深く根差している。

 告白しよう。私は何であれ自分の意見を聞かれるのが大好きだ。東京のどこかへ出かければ、必ず小さなアンケート用紙をもらう。東京人の多くも、意見を求められれば悪い気はしないはずだ。アンケート用紙を本のしおりとして使い、そのうち捨ててしまうとしても。

 アンケートは控えめで、名前を書く必要もない。匿名性を重んじる東京にあっても、これは重要なポイントだ。反対意見を口に出して言ったらどんな恥ずかしい目に会うか、面と向かって褒めちぎったらどんな義務を負わされるかわからない。アンケートなら、そんな心配は無用だ。

■アンケートでトンカツの味がよくなる?

 おまけに時間もかからない。大半の東京人は山ほど意見を持っているが、口に出さないまま忙しい毎日を送っている。ニューヨークなどでは、質問してもいないのに意見を聞かされるのが当たり前。だが、東京の住人はより慎み深い。「私の意見など取るに足りないものです」と遠慮しているように見える。

 そんな東京人も、わざわざ時間を割いて意見を表明しようという気になることがある。立ったまま意見を走り書きできるアンケートは、彼らにぴったりだ。東京人の筆記能力には驚かされる。あれほど小さな文字で、あれほど素早く書けるとは!

 もちろん、こんなデータを集めてどうするのかと疑問に思うアンケートも少なくない。東京で1日に集まる情報の量は莫大なはずだ。すべての情報や意見はどこかのデータバンクへ送られ、いずれ参考資料として使われるのだろうか。アンケートに答えたおかげで、何かが変わることはあるのか。トンカツ店でソースが甘すぎると書いたら、店長はレシピの変更を本気で検討するのか。たぶん、あり得ない。それでも私はアンケートを書き続ける。

 空欄を埋めてもらうのを待っている小さな紙は来たるべき何かを約束し、東京が面白い街であり続けることを保証する。アンケート用紙は目立たないが、いつでもそこにある。東京での出会いは短くて束の間で、紙切れのようにはかないものだと教えてくれる。

 だが同時に、この街の奥底には他者への好奇心と、つながりたいという願望が潜んでいることも教えてくれる。手のひらほどの大きさの紙に並ぶちっぽけなチェック欄に込められた願いは大きい。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イスラエルとの貿易全面停止、トルコ ガザの人道状況

ワールド

アングル:1ドルショップに光と陰、犯罪化回避へ米で

ビジネス

日本製鉄、USスチール買収予定時期を変更 米司法省

ワールド

英外相、ウクライナ訪問 「必要な限り」支援継続を確
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 2

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 3

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 4

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 5

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 6

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 7

    「複雑で自由で多様」...日本アニメがこれからも世界…

  • 8

    中国のコモディティ爆買い続く、 最終兵器「人民元切…

  • 9

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 10

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 9

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 10

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story