コラム

ネット企業はどこまで政府権力と戦えるのか

2010年11月18日(木)21時09分

 政府とインターネット企業との関係について考えさせられるできごとが、最近いくつも起こっている。

 たとえば、先だっての尖閣諸島衝突映像漏洩事件では、やはり「インターネット企業はメディア会社ではない」ということを感じさせられた。いや、厳密に言うと「報道メディア会社」ではないということだ。ユーチューブに流出した映像の出所を巡って検察がIPアドレスの提出を求め、それに応じざるを得なかったグーグル。このIPアドレスと、ネットカフェに備えられていた何と10台もの防犯カメラとの組み合わせで、漏洩者の身元割り出しはあと一歩のところまで近づいていた。

 もしユーチューブが報道メディアならば、「情報源の秘匿と保護」のためにIPアドレスを断固として渡さなかっただろう。だが、グーグルが抵抗できる材料はせいぜい電気通信事業法の通信の秘密や個人情報保護で、犯罪を犯したとされる犯人逮捕の目的のためには、日本の司法権の定めるところに従うしかなかったのだ。

 ただし、報道メディアでも法によって完全に秘匿権が護られるわけではないし、当局の厳しい取り調べに屈してしまう記者もいるかもしれない。アメリカでは2007年、CIA工作員の身元漏洩事件に際してニューヨーク・タイムズの女性記者が情報源の開示を拒んだため投獄されたことがあったが、ここまで体を張って情報源を護ってくれる記者がどれほどいるだろうか。

 ことに映像漏洩事件では、日本の報道が「犯人探し」に傾いていたのを見て、メディアを介した内部告発を尻込みする人もいただろう。暗号技術によって情報源をわからなくするウィキリークスのようなサイトの意味も、こうしたところに浮き上がってくるわけだ。

■グーグルは透明性報告書を開示

 グーグルが政府と衝突した例で記憶に新しいのは、今年初めの中国撤退である。サイト運営との交換条件として自己検閲に長らく妥協してきたグーグルが、ついに中国政府に反旗を翻して撤退を決め、検閲のない香港サイトへユーザーを誘導する手段に出た。営利企業でありつつも情報の民主化を謳うグーグルとしては、これでようやくメンツが立ち、中国政府もこれ以上グーグルに圧力をかけることで受けたであろう国際的な非難を免れた。

 妙なバランスの中で成り立っているグーグルの検索サイト運営だが、グーグルはその後、各国での政府の介入件数を「グーグル・トランスパレンシー・レポート(透明性報告書)」というサイトで開示している。過去6ヶ月の間に各国政府機関からの問い合わせに応じて、ユーザー・データを提供したりサイトを検索結果から削除したりした件数がこのサイトでわかる。

 たとえば、日本を見ると過去6ヶ月間で56件の問い合わせがあり、7つのサイトを削除している。これなどアメリカの問い合わせ4278件、128サイト削除と比べるとかなり少ないのだから、驚かされる。日本の56件の中には、おそらく今回の映像漏洩事件でのIPアドレス提供も含まれるのだろう。詳細は記されていないが、こうした問い合わせや削除は児童ポルノ、麻薬犯罪などに関連したサイトと思われる。

 グーグルは、「わが社は、他のテクノロジー企業と同様、政府から多数の情報提供要請を受ける」と書いている。少なくともその数を透明に明らかにすることによって、グーグルは政府の行動とそれに対する自らの姿勢を開示しているわけだ。

 9月末には、マイクロソフトがロシアのNGOや報道機関にソフトウエアを無償で配布した。マイクロソフトは、数年前から各国政府の協力を得てソフトウエアの不正コピー製造業者の一斉摘発に乗り出している。今や、不正コピーの製造、流通は、麻薬にも劣らないほどの犯罪ネットワークに拡大しているからだ。

■弾圧に悪用された不正コピー摘発

 ところが、これが裏目に出た。ロシア当局が、反政府的と目星をつけたNGOやジャーナリストを弾圧するために、不正コピー利用を理由に家宅捜査を行い、コンピュータの差し押さえを始めたのだ。

 マイクロソフトが雇うロシア人のなかには、元政府情報機関の人間も多い上、不正取締りのために現職の捜査員の協力も得ているらしい。社内の情報は政府にもツーツーだ。その結果、不正コピー摘発がメディアや市民団体の弾圧という、まったく異なった目的に利用されてしまったわけだ。

 その意味で、マイクロソフトがNGOやジャーナリスト機関に無償ソフトウェアの提供に出たのは賢明で、喝采ものだ。表向きは彼らが濡れ衣をかけられないようにするためだが、同時に彼らを保護するというある種の目的意識も感じられるからだ。

 そうこうするうちに今週、地元のシリコンバレーでは、FBI長官がグーグルやフェイスブックなどの大手インターネット企業を訪れ、インターネット上のユーザー行動を監視しやすくするよう働きかけているという。

 これまでも電話やブロードバンドの通信業者には裁判所命令があれば、すぐさま捜査当局に盗聴を許さなければならないという法律がある。FBIは、今やインターネット・サイトにも同様のアクセスが必要だと考えているわけだ。だが、犯罪やテロ行為を防止しようとする動きでも、健全な市民活動の障害になることもある。いずれこれに反対する運動も起こるだろう。

 テクノロジー業界の苦い記憶は、ヤフーが中国政府に提供したIPアドレスによって何人もの人権活動家やジャーナリストが投獄された経験だ。ひとつの国で合法的なことが、他国では違法とされている。自由と民主主義を標榜するアメリカの企業が、なぜ彼らを護らなかったのかという批判は今でも根強い。

 ルールが定まらず、今後も政府とインターネット企業の駆け引きが続くこの分野。最良の監視人は、一般ユーザー以外にない。

プロフィール

瀧口範子

フリーランスの編集者・ジャーナリスト。シリコンバレー在住。テクノロジー、ビジネス、政治、文化、社会一般に関する記事を新聞、雑誌に幅広く寄稿する。著書に『なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか? 世界一IQが高い町の「壁なし」思考習慣』、『行動主義: レム・コールハース ドキュメント』『にほんの建築家: 伊東豊雄観察記』、訳書に『ソフトウェアの達人たち: 認知科学からのアプローチ(テリー・ウィノグラード編著)』などがある。

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