コラム

サウディアラビアの宗派間緊張に火がつくか

2015年06月03日(水)12時25分

 その融和政策に亀裂が入ったのが、2011年の「アラブの春」だ。目と鼻の先のバハレーンで反王政の抗議運動(その主流はシーア派だ)が興隆したのを見て、サウディ王政のなかに、再度「シーア派=イランの手先=危険」意識が首をもたげる。一方で、シーア派社会でも若者が、旧態依然としたシーア派長老たちの、「王政とうまくやっていくしかない」方針に飽き足らなくなっていた。そこに、「アラブの春」に同調したシーア派若者層のデモが起きた。他のアラブ諸国とは比較にならないほど小規模だったが、官憲と衝突し、激化したデモ隊の間で「サウード王家に死を」といったスローガンまで聞かれた。

 その先鋭化したサウディ・シーア派の運動の中心にいたのが、ニムル・アルニムルという宗教指導者である。若者だけでなく広く国内外のシーア派社会の間で、人気を博してきた。

 そのニムル師がサウディ政府に逮捕されたのが、2012年7月。そして2014年10月、死刑判決が下された。以来、イランをはじめとしてバハレーン、イラク、イエメンなど周辺のシーア派宗教界は、蜂の巣をつついたような騒ぎだ。曰く、「死刑を実行したらたいへんなことになるぞ」「宗派対立が決定的となって、取り返しがつかないことになる」「サウディ王政はもう終わりだ」、云々。

 そうしたなかで、処刑日は5月14日だ、との報道が流れる。各地で抗議のデモが組織され、シーア派宗教界のサウディ批判が強まる。冒頭に挙げたISによるシーア派モスク爆破事件が起きたのは、そんな緊張感の高まる最中だった。

 この手口、イラクでかつてアルカーイダが宗派対立を煽ったやり口と、よく似ている。ぎりぎりの緊張状態に火を点け、国内全体を混乱に陥らせる。最小限の「テロ」で、内戦を引き起こす。内戦のあとには、モラルの崩壊した社会と、報復の念に燃えた遺族が多数、残される。ISやアルカーイダが求める「拠点」と「戦士」がふんだんに手に入るのだ。

 アメリカの湾岸研究の第一人者、グレゴリー・ゴーズは、今の混乱をイランとサウディアラビアの「新しい中東の冷戦」と呼んだ。この冷戦が、「熱戦」になる日も近いのか。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

豪6月失業率は3年半ぶり高水準、8月利下げ観測高ま

ビジネス

米J&J、通期業績見通し上方修正 関税費用予想は半

ビジネス

午前の日経平均は小幅に続落、半導体株安が重し 下げ

ビジネス

長期金利の国民生活への影響注視、為替動向を憂慮=青
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 2
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 3
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長だけ追い求め「失われた数百年」到来か?
  • 4
    アメリカで「地熱発電革命」が起きている...来年夏に…
  • 5
    ネグレクトされ再び施設へ戻された14歳のチワワ、最…
  • 6
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 7
    「巨大なヘラジカ」が車と衝突し死亡、側溝に「遺さ…
  • 8
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 9
    「異常な出生率...」先進国なのになぜ? イスラエル…
  • 10
    約3万人のオーディションで抜擢...ドラマ版『ハリー…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が話題に
  • 3
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 4
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 5
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 8
    アメリカで「地熱発電革命」が起きている...来年夏に…
  • 9
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 10
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 7
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 8
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 9
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story