コラム

エジプト:やっぱり選挙は面白い

2012年06月28日(木)09時56分

 6月24日、エジプト大統領選の結果が発表され、ムハンマド・ムルスィー自由公正党党首が勝利した。とりあえず、ほっと一安心である。

 いや、筆者が自由公正党シンパだというわけではない(むしろ、「う~ん」)。大統領決選投票の前後からかなりきな臭い動きがあったので、それが大きな衝突や改革の後退につながらないかと懸念していたからだ。

 何よりもまず、6月14日、決選投票開始の2日前に、現在政権を担う軍最高評議会が突然、昨年末に実施された人民議会選挙の無効を発表した。これにより、自由公正党が約半数、第二党でイスラーム主義政党の御光(ヌール)党が約四分の一の議席を占める人民議会は、解散。自由公正党は、せっかく得た与党の地位を失うこととなったのである。大統領決戦投票を前に、守旧派の軍が新興勢力たるイスラーム主義政党を潰しにかかった、と見える判断だった。

 緊張が高まるなか、決選投票が終わるとすぐ一日後に、ムルスィー陣営は勝利宣言をする。これは根拠のないことではなく、自由公正党は大量に支持者を動員して独自に調査を行い、かなり正確に得票状況を掴んだからである。なので、選管がもし対立候補のシャフィーク元首相の当選を発表したら、不正選挙の疑いで大騒ぎになっていただろう。

 さらにムルスィーのあとには、シャフィーク陣営の勝利宣言が続く。いずれの候補の票読みでも、きわどい僅差が予想された。どちらが勝っても負けてもほぼ半数、という結果で、負けた方がごねたら混乱必至だった。とりあえずそれは回避されたわけで、その意味で「ほっ」である。

 ところで、気になるのが、軍最高評議会による人民議会選挙の無効宣言である。これは最高憲法裁判所がこの選挙を違憲としたからなのだが、各種報道では「裁判所はムバーラク前政権に任命されているから」と、「軍寄りなのは当たり前」的な説明が目立った。

 だが、実はエジプトの司法は、ムバーラク時代から政権とは大きく距離を置いた、独立した存在だった。1990年に憲法裁判所が当時の議会選挙を違憲と判断し、議会が解散に追い込まれた経験もある。90年代末、当時の人民議会選挙を見に行ったことがあるが、政治的には明らかに操作された選挙でありながら、投開票には司法がしっかり睨みを利かせているのが不思議な光景だった。判事が、途中で投票箱を奪われないように――いや、結局は当局によって結果事態がすりかえられてしまうのだろうけど――、投票所から開票場までしっかり抱きかかえていくのだから。

 今回の選挙でも、投票所で判事は大活躍だったようだ。選挙監視に立ち会った早稲田大学のエジプト政治研究者、鈴木恵美氏によれば、判事以外の者は投票用紙に触れてもいけないので、開票の際うっかり投票用紙が床に落ちたり飛んだりすると、その都度判事は対応しなければならず、大忙しだったようだ。

 今回の違憲の原因も、選挙法が個人の権利の平等原則に反するから、ということで、実に真っ当な理由である。比例代表制で議席の三分の二を政党リストに、残りを個人候補に当てているが、後者が前者枠で立候補できないのに前者に出るべき政党所属候補が後者枠で立候補できる、というのは不公平だ、という判断だ。

 だから、違憲との判断は不思議ではない。問題はタイミングだ。なぜ大統領決選投票直前に、あえてイスラーム政党潰しのような決定をしたのか。伝統的、歴史的に中立、独立を維持してきた憲法裁判所が、何故突然、軍事政権に有利になるような判断をしたのか。

 だから、政権交代は面白い。これまで揺るぎなかったものが揺るぎ、ロクに信用されていなかったシステム(選挙)が、けっこうちゃんと政治を反映するのである。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

レバノン、31日にヒズボラの武装解除計画提示と米特

ビジネス

中国工業部門利益、7月は前年比1.5%減 3カ月連

ビジネス

午前の日経平均は反発、ハイテク株の一角高い エヌビ

ビジネス

焦点:FRBに迫る信認と独立の危機、問われる中銀の
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 2
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 3
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪悪感も中毒も断ち切る「2つの習慣」
  • 4
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 5
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 6
    「美しく、恐ろしい...」アメリカを襲った大型ハリケ…
  • 7
    イタリアの「オーバーツーリズム」が止まらない...草…
  • 8
    「ありがとう」は、なぜ便利な日本語なのか?...「言…
  • 9
    【クイズ】1位はアメリカ...稼働中の「原子力発電所…
  • 10
    【写真特集】「世界最大の湖」カスピ海が縮んでいく…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 3
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家のプールを占拠する「巨大な黒いシルエット」にネット戦慄
  • 4
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 5
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 6
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 7
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 8
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 9
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 10
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story