コラム

スカーフとサッカー

2010年05月12日(水)20時08分

 4月初め、世界が「イランの核開発問題」に関心が集まっていたとき、イランの女子サッカーチームがひとつの不幸に見舞われていた。今年8月にシンガポールで開催予定の第1回ユース五輪のサッカーの試合に、イラン女子チームの参加が拒絶されたからである。

 何故? 理由は選手たちがスカーフを被って試合に臨んだからだ。イスラームでは、女性は髪を男性に見せないようにせよ、と教えられている。特にイスラーム体制下のイランでは、公共の場ではスカーフの着用が義務づけられている。これが、「政治的、宗教的、個人的主張を示してはいけない」というFIFA の規程に触れた。

 イスラーム教徒の女子選手のスカーフが問題になったのは、イランに限ったことではない。イスラーム教圏では、髪を隠すイスラーム教徒用スポーツウェア産業が発展するほどスポーツ選手を目指す女子は増えている。なのに、イスラーム教徒だというだけで国際試合にでれないなんて、差別じゃないか!という批判は、あちこちで聞かれる。

 結局この問題は、5月はじめにFIFA が「スカーフじゃなくて帽子ならOK」と妥協して、決着がついた。

 ところで、スカーフといえば、今イランでは「ちゃんとスカーフを被ろう」運動が真っ盛りだ。保守派の宗教界を中心に、イラン人女性の服装の乱れを糾弾する声が高まり、「地震などの天災は服装の乱れから来る」などと主張する宗教家まで出現して、イラン社会は一気に保守化ムードである。

 これは去年からイラン国内で高まった改革派の反政府運動に、多くの女性が加わっていることと無関係ではない。政府批判を繰り返す女性や若者を、「イスラーム的に堕落している」と取り締まることで、反政府活動を押さえ込もうとしているのだろう。そういえば、3月はじめに逮捕された映画監督、バナーヒ氏の代表作「オフサイド・ガールズ」は、サッカー観戦を許されない女の子が、男の子に扮してワールドカップ予選会場に入ろうと奮闘する、というものだった。

 しかし面白いのは、専制を強めるアフマディネジャード大統領もまた女性の服装厳格化に熱心か、といえば、実は案外そうではないことである。4年前に「女子がサッカー観戦してもいいじゃないか」と言って保守派の反発を食らったのは、アフマディネジャードその人である。2008年には、「服装を厳しく取り締まるのはいかがなものか」とまで発言した。

 イラン政府としても、女性票の獲得とイスラームの規律徹底の間で、ジレンマにある。「服装の乱れを正そう」キャンペーンを展開する一方で、最近女性労働者への待遇改善を打ち出したのは、そのせいだ。

 厳しい服装規程を強要されるのもイヤ。でもイスラーム教徒としてのアイデンティティーであるスカーフを否定されるのもイヤ。イスラーム教徒女子を取り巻く環境は、厳しい。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米財務長官、FRBに利下げ求める

ビジネス

アングル:日銀、柔軟な政策対応の局面 米関税の不確

ビジネス

米人員削減、4月は前月比62%減 新規採用は低迷=

ビジネス

GM、通期利益予想引き下げ 関税の影響最大50億ド
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 8
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 9
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 10
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story