コラム

安全対策のコストを考えない原子力規制委員会の暴走

2013年02月01日(金)17時01分

 民主党政権のもとで指名された原子力規制委員会は、まるで原発を止めるために活動しているように見える。規制委は全国の原発で断層の発掘を続け、福井県の敦賀原発2号機の直下にある破砕帯を「活断層だ」と断定した。田中俊一委員長は「これでは安全審査はできない」と発言して、敦賀2号機の廃炉を示唆した。

 しかし活断層が見つかっても、規制委には原発を廃炉にする権限はない。そこで彼らは新たに「重要施設を活断層の上に建ててはいけない」という安全基準を決める方針を出した。つまり今は、活断層の上に建設することは禁止されていないのだ。もちろん運転も禁止されていないので、規制委が原発を廃炉にする権限はない。だから古い基準のもとで活断層をさがしても意味がないのだ。

 さらに規制委は、想定を上回る自然災害やテロ攻撃などに備えた「過酷事故対策」と「地震・津波対策」を柱にした新しい安全基準の骨子案をまとめた。規制委は基準を満たさない原発の再稼働は認めない方針なので、既存の原発は大規模な改修を迫られる。

 もちろん安全であるに越したことはないが、安全のコストはただではない。電力業界全体で必要な安全対策の投資は、1兆円に達すると推定されている。このような事後的な安全対策の強化はバックフィットと呼ばれる法律の遡及適用で、普通の建築物では認められない。建築基準法が改正されても、古いビルを取り壊す必要がないのと同じだ。

 原発の場合には、今は任意でバックフィットが行なわれているが、これを義務づけることは大きな副作用をともなう。改修ですめばいいが、運転期間は40年間に制限されており、古い原発は投資をしても回収できないので、廃炉にするものが増えるだろう。

 しかし田中委員長は、意に介していないようだ。彼は昨年9月の就任のときのインタビューで「コストのことはまったく頭にない」と述べた。マスコミも「安全性が確認されても動かすな」(朝日新聞)とか「安全対策の猶予期間を認めるな」(毎日新聞)などと、絶対安全を求めている。

 絶対安全を実現するのは簡単である。今のように原発を止めておけばいいのだ。運転しなくても核燃料があると危険なので、それもはずせば万全である。それが問題の解決にならないことは明らかだろう。田中氏も認めるように「原発のリスクはゼロではない」のであり、ゼロにすべきでもない。

 安全対策に1兆円かけ、古い原発が廃炉になると、その分だけ化石燃料の輸入が増える。これによって電気料金が上がるだけでなく、二酸化炭素の排出量も増え、大気汚染も悪化する。それによる健康被害は、少なくとも福島第一原発の事故より大きい。

 新しい安全基準の想定しているのは主に地震・津波だが、もし東日本大震災と同じ規模の地震が他の地域で起こったとすると、津波による死者は1万5000人以上出るが、原発事故の死者は1人も出ないだろう。死者ゼロの原発に1兆円もかけ、津波対策にコストをかけないのは、防災対策としてはナンセンスである。

 つまり田中委員長のようにコストを考えない安全対策は、それによって別の安全対策が犠牲になるという機会費用をもたらすのだ。そういう多くの選択肢の中でどこに予算を配分するのが効率的かを考え、そのリスクに見合ったコストをかけるのが防災対策の原則である。政治的に騒がれたものにコストを集中すると、かつてのダイオキシンやBSEのように多大な浪費が発生する。

 福島事故のあと、原子力安全委員会は業界と癒着する「原子力村」だと批判を浴びた。その反動で原子力規制委員会は安全委とは無関係な人々だけを集めてつられたため、田中委員長のように行政経験のない技術者が暴走する傾向が強い。エネルギー問題は社会全体のインフラであり、第一義的には経済問題である。安全性を追求するのは結構だが、まず常識的なバランス感覚を身につけてほしい。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ロシア、日本の自衛隊統合演習に抗議 「国境近くで実

ワールド

トランプ氏、カナダとの貿易交渉再開を否定

ビジネス

情報BOX:大手証券、12月利下げを予想 FRB議

ワールド

米中エネルギー貿易「ウィンウィンの余地十分」=ライ
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 5
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 6
    必要な証拠の95%を確保していたのに...中国のスパイ…
  • 7
    海に響き渡る轟音...「5000頭のアレ」が一斉に大移動…
  • 8
    【クイズ】12名が死亡...世界で「最も死者数が多い」…
  • 9
    【ロシア】本当に「時代遅れの兵器」か?「冷戦の亡…
  • 10
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読み方は?
  • 4
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 5
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 6
    【ウクライナ】要衝ポクロウシクの攻防戦が最終局面…
  • 7
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した…
  • 8
    女性の後を毎晩つけてくるストーカー...1週間後、雨…
  • 9
    熊本、東京、千葉...で相次ぐ懸念 「土地の買収=水…
  • 10
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 5
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ…
  • 6
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 7
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 8
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 9
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story