コラム

中国のなかのアメリカ

2013年11月22日(金)06時18分

 20日、米国の駐中国大使、ゲイリー・ロック氏が辞意を表明したというニュースが、ツイッター、そして中国国産マイクロブログの「微博」を駆け巡った。ネットメディアはもちろん、翌日の主要メディアも記事を載せている。ロック大使は以前、「『大使憎けりゃバックパックまで...』?!陳光誠氏騒ぎの舞台裏」でも少し触れたが、約2年半前着任のために中国へ向かう際に空港のスターバックスで列に並んでコーヒーを買った、中国国内出張でエコノミークラスを利用したことなどが、中国で新鮮な話題を提供してくれた。

 ロック氏は、「アメリカ移民の郷」ともいわれる広東省台山出身の華僑家庭に生まれた移民第3世代。夫人の両親も台湾出身という、中国人の「目」には親しみやすく映る華人家庭である。その家族揃っての着任前、そして着任当初は中国側では官も民も「華人」アイデンティティを利用してうまく話題の緒を見つけられないか、と考えていたフシがあるが、大使は在任中ほとんどそんな素振りを見せなかった。ある意味、カリフォルニア出身で北京語を操った前大使のジョン・ハンツマン氏のほうが愛嬌を振りまいていた感がある。そういえばロック大使は両親のふるさとの台山語は話せるが、北京語はまったくダメなのだそうだ。

 そのロック氏の突然の辞任発表は周囲を驚かせた。さらにその辞任の理由は「家族とともに暮らすため」だという。最初は一家揃って北京にやってきたロック家の3人の子供たちは、実は今年4月には通っていたインターナショナルスクールを退学し、アメリカに帰ってしまっているという情報も流れてきた。その子供たちと暮らすために任期満了を待たずして北京を離れるというのは、非常に理にかなってはいるが、少々唐突でもあった。

 今や二つの超大国といわれる、アメリカと中国。そのアメリカの大使として中国に赴任することは最高の栄誉だろう。そして実際にロック大使の任期中に、前掲のコラムに書いた盲目の人権活動家、陳光誠氏による国外脱出劇、さらには中国の政治ムードを大きく変えるきっかけとなった王立軍・元重慶市公安局長の成都総領事館への駆け込みという前代未聞の事件(「主役を食った助演男優〜重慶市の巻」)が起こっている。そんなスリリングな事件をどうにか丸く納めた彼が「家族と過ごしたい」という理由で辞任する――ある意味、拍子抜けしないでもない。

 じゃあ、あんなににこやかに一緒に北京にやってきた家族がなぜアメリカ・シアトルに戻ってしまったのか。なぜ北京に呼び戻せないのか。彼の辞任発表が注目された理由の一つはそこにある。家族を北京から地元に戻す、家族を北京で暮らさせることができない理由とは、深刻化する一方の大気汚染ではないか、と。

 ロック氏の辞任声明では、北京が原因だとは触れていない。だが、先に子供たちをそろってアメリカに返したことを考えると、今北京で暮らしている人なら自然に大気汚染を思い浮かべるくらい、深刻な問題になのだ。だが、それに加えて、大使夫妻と親しく、また同じ学校に子供たちを通わせている、著名不動産開発会社「SOHO」の張欣CEO(米国籍)は、「長女があと1年半で大学に進学するので、それまで家族揃って暮らしたいという思いがロック大使にある」のだとメディアの問いに答えている。

 家庭の事情なのか、ハンツマン前大使が大統領選出馬準備で時期を早めて帰国したようにロック氏にも次の「チャンス」が転がり込んできたのか? ロック氏の前途をそんな「かつてあったパターン」に当てはめて想像する中国メディアの記事には、「ロック氏が華人初の国務長官になるのではないか」「次期大統領選に出馬か」といった専門家の声も並ぶ。

 それにしても、ロック大使の辞任を伝える記事や書き込みを読んでいると、中国人はつくづく良くも悪くもアメリカが「好き」なんだなぁ、と思う。わたしがふとツイッターで、「もしロック大使のように、日本大使が『家族と過ごしたいから任期を待たずに辞めます』などと言おうものなら、その大使は激しい批判を浴びて日本に帰れなくなるかもしれない」と中国語でつぶやいたら、「だから日本はアメリカに勝てないんだ」という中国人ユーザーのつぶやきが返ってきた。

「アメリカに勝つ」。物言いからしてまだ若そうなこのユーザーが、わざわざ中国政府の作った「壁」を乗り越えてアメリカ産の本家本元のマイクロブログであるツイッターにアクセスしておきながら、「アメリカに勝つ」という言葉を吐く不思議さ。同時に、微博では「ロック大使による中国の評価」と書かれた、次のような書き込みが多くの人たちにコピペされ、大量に転送されていた。

1)大事には我慢して声を出さないのに、細かいことにいちいちこだわる。
2)人間関係を通じて事を成そうとし、絶対に正統な手段を使って物事を解決しようとしない。
3)なにかあると大声で外界を批判し、我が身を振り返ることはほとんどしない。
4)友だちの成功を喜ぶのは嫌がるのに、知らない人の悲劇に協力を申し出る。
5)長期の未来の幸せを考えず、目前の小さな利益にリスクをかける。

......なかなか痛烈である。もちろん、ロック大使がいつ、どこで、どんなふうにこの言葉を吐いたのかはまったく触れられておらず、その情報の出処も見当たらないので、十中八九ネットユーザーの作り事だろう。もちろん、これを読んで素直に大使の言葉だと信じて激昂しているユーザーもいたし、「もしこれが本当に大使の言葉なら、なかなかよく中国人を理解しているじゃないか」という賞賛の声もあった。ただ、コピペして転送しすることを楽しんでいるだけのようにも見える。

 だが、もしこれがロック大使ではなく、中国のトップリーダーの言葉としてでっち上げられたものだったらどうなるか。ネットユーザーにはウケるだろうが、さっさと書き込みは消され、微博アカウントが「減点」されるだろう。今年9月から大手の「新浪微博」がアカウントごとの点数制を導入したからだ。最初の手持ちは80点。デマを転送したとみなされたら1回毎に5点減点される。そして75点、60点、40点と点数が減るごとにそれぞれ、推薦枠を取り消されたり、フォロワーを増やせなくなったり、書き込みが他人のタイムラインに現れなくなったりする。点数がゼロになればアカウント凍結。一方で点数を稼ぐために「他人が流したデマを報告する」という大変なチャンスが与えられているのである。

 微博アカウントくらい消されたってどうでもいいさ、という人もいるだろう。聞くところによると、アカウント開設と削除を200回以上も繰り返している人もいるという。そのユーザーの根性もなかなかのものだが、さすがに多くの人たちはそこまでやらないはずだ。しかし、ただの冗談で流したつもりのつぶやきをたどって自宅のドアに警察がやって来れば、ほとんどの人はビビってしまうだろう。

 つまりアメリカ大使を利用して軽口を叩いても、自国のトップを笑いの対象にしてはならないことにほとんどの人が気がついている。そこには尊敬や尊重(北朝鮮のように?)といった感情は存在しない。ダメだからダメ。人々はその「違い」をはっきりと知っている。

 だからこそ、ロック大使が着任時に立ち寄った空港のスターバックスで他の客と同じように列に並び、ディスカウントクーポンを使ってコーヒーを買おうとしたこと、飛行機から下りた一家が子供たちも大使自身もそれぞれバックパックを背負っていたことが、中国の人々の目にはとても新鮮に映った。そこには権威や神秘性などない。そしてアメリカや大使を標的に冗談を言っても、アメリカ大使館のアカウントはいちいちイライラしないことを知った。

 中国の政府系メディアですら何を書いてもいいと思っているのか、「ロック氏は子どもに良好な教育を受けさせたいと考えている。大使の給料では足りないからではないか」などというトンデモ記事を載せていた。先の書き込みもこの記事もアメリカ人の視点ではなく、今の中国人の価値観を見事に反映したもので思わず笑ってしまった。だが実際には、王立軍事件の処理も、また状況が二転三転して一度は窮地に陥り、解決に手こずった陳光誠氏一家の出国も、その判断と功績を人々は受け入れた。明らかな冷戦思考的な立場を取るメディアを除けば、ロック氏の功績に好意的な評価をしている。

 わたしのツイッターには中国語でロック氏辞任表明のニュース、日本語でケネディ駐日大使就任のニュースがほぼ同時に流れてきた。「なんでアメリカは日本には美女を派遣するのに、中国には中年のおっさんしか送ってこないんだ。差別だ! 不公平だ!」と、先の国営テレビのスターバックス叩きに激しく反発した中国人ユーザーがその時のアナウンサーの言葉を皮肉るようにつぶやいた。

 アメリカあっての中国。中国人は本当はそんなアメリカが大好きなのだ。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:ミャンマー内戦、国軍と少数民族武装勢力が

ビジネス

「クオンツの帝王」ジェームズ・シモンズ氏が死去、8

ワールド

イスラエル、米製兵器「国際法に反する状況で使用」=

ワールド

米中高官、中国の過剰生産巡り協議 太陽光パネルや石
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 2

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 3

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加支援で供与の可能性

  • 4

    過去30年、乗客の荷物を1つも紛失したことがない奇跡…

  • 5

    「少なくとも10年の禁固刑は覚悟すべき」「大谷はカ…

  • 6

    中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固…

  • 7

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 8

    この夏流行?新型コロナウイルスの変異ウイルス「FLi…

  • 9

    礼拝中の牧師を真正面から「銃撃」した男を逮捕...そ…

  • 10

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 6

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 7

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 8

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 9

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 10

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story