コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
2012年、香港行政長官選挙の波乱
先週の日曜日、3月25日に香港で4回目の香港行政特別区の行政長官選挙が行われた。まだまだ、という形容詞が4倍くらいつくくらい不完全な「選挙」だが、それでもどうにか終われば「次」に向かって香港は歩み始めるだろう、と思っていた。......しかし、市民は今回これまでになくじとじと、べたべたした気分を引きずり続けている。
わたしが「次」に向かっていくだろうと思ったのは、次回の2017年第5回行政長官選挙で香港市民が心待ちにしていた普通選挙制度が導入される「かもしれない」という希望があるからだ。もちろん、「かもしれない」ごときがなんだ、と思う向きもあるだろうが、香港で03年に市民50万人による普通選挙実施要求デモが行われた後、自国の主要指導者選出において普通選挙など実施どころか、実施の検討すら始まっていない中国の中央政府(正確に言えば、全国人民代表大会常務委員会)が初めて具体的な普通選挙の可能性を示したのが、「2017年の香港」なのだ。遅すぎる感はあるものの、これは中国の歴史においてある意味、画期的な「予定」である。
だから、これまでずっと「小サークル選挙」と揶揄されてきた、1200人の選挙委員の投票によって行われる行政長官選挙を今回予定通りに「こなせ」ば、17年はもうすぐ。人々はその期待にターゲットを合わせて直接選挙の準備に取り掛かると思っていた。だが冒頭で述べたように、選挙から約1週間がたった今も市民の間では今回の選挙の「暗い面」ばかりをほじくり返している。
今回の行政長官選挙はいろいろな意味で「前例にない」選挙だった。まず、現任のドナルド・ツァン(曾蔭権)長官が二期目で三選が許されていないことが前提にあったので、董建華・初代行政長官のころに行政長官のブレーンである行政会議メンバーの一員に委任された梁振英(CYリョン)氏が、数年前から早々と立候補に意欲を燃やしていたこと。そして実際に同氏は昨年秋に同メンバーの職を辞して、参戦準備に入った。
建築測量士出身の同氏は1985年に香港基本法起草諮問委員会のメンバーになってから、だんだん政治の舞台に顔を見せ始めた。香港基本法というのは、1997年のイギリスから中国への主権返還後香港の憲法に位置する法律で、当然のことながら「主権国中国」主導で起草が進められた。30代そこそこで中国政府主導の場に姿を現した梁氏には、昔から「隠れ共産党員」という噂が付きまとうようになった。本人は否定しているが、イギリス殖民地時代から香港における親中派のホープだったことは間違いない。
一方、今回梁氏と実質的に席を争った(もう一人、何俊仁氏という候補がいるが、民主派ゆえ当選の可能性はないとみられていた)唐英年(ヘンリー・トン)氏は、父親が江沢民元国家主席と同郷で仲が良く、その関係から中国中央政府の「お墨付き」をもらっているというもっぱらの噂だった。唐氏は91年に家業が属する紡績業界から立法評議会議員に選出され、97年には梁氏と同じく行政会議メンバーに指名された。だが、ずっと非公開の行政会議という「行政長官のブレーン」を続けた梁氏と違い、唐氏は2002年に工商テクノロジー局長として政府の表舞台に立ち、その後財政長官、政務長官(行政長官に次ぐナンバー2)と要職を歴任した後、やはり昨秋、今回の選挙の準備のために辞職した。
このように、明らかに中国政府寄りとみられる強力なバックグラウンドを持つ人物が同時に二人も立候補したことも前例にはなかった。いつもは親中派は一人のみ、そしてその対抗馬が立候補し、これまた中国政府の委任を受けて初めて選出された「選挙委員」800人(今回から1200人に増員)の投票によって親中派が圧倒的多数票で当選を果たすのが行政長官選挙だった(注:選挙委員は選挙管理委員とは別で、あくまでも「有権者」の位置づけになる。ややこしいが)。
今年初めまで、一般的にこの唐氏が有力だと予想されていた。実際に政府の実務経験もあり、また行政長官不在時の代理長官を務める政務長官を経験していたことで、現中国政府にとって納得できる人選だとみられていた。また、ますます政治の場で力を持つようになってきた産業界ともつながり、名士中心の選挙委員に安定した人気を誇っているとされた。さらには数々の現、あるいは元政府高官も同氏支持を公然と口にし、見たところ唐氏が就任すれば「すんなり」という言葉がぴったりのようだった。
だが、数年前から不動産業者の利益に傾倒した政策が続く中、一向に改善しない住宅高騰に苦しむ市民は、唐氏を「無能なブタ」と呼んだ。一方で対立候補の梁氏も往年の中国共産党員疑惑などが取りざたされたり、行政会議という市民には馴染みのない政治の場にいたこともあり、「腹黒いオオカミ」と呼ばれた。そうして今回の行政長官選挙は「ブタvsオオカミ」と呼ばれるようになっていった。
そこに今年に入ってから香港社会で「アンチ中国」感情が噴出した。このコラムでも「香港のモブ活動に思うこと」や「香港の不安」で触れたような事件によって社会が騒然として、市民の不満が爆発、そこで増幅された怒りが、この行政長官選挙にも向けられ始めたのである。
これら香港社会を大論争を巻き起こしていた真っ最中に、唐氏、梁氏の二候補は市民の不満解決の政策プランについて一切口にしなかったことも、「香港社会に責任を取るのではなく、中央政府にだけよい顔をする御用行政長官候補たち」と映り、市民たちはますます「自分たちが左右できない行政長官選挙」を標的に行動を始める。
すると出てくるわ、出てくるわ......唐氏の不倫疑惑(私生児騒ぎまで)や自宅の違法改造を証明する図面、そして梁氏が行政長官選挙の選挙委員を集めて食事をふるまったことを証言する人物まで、二人の政治志向よりもその行動、行為、プライバシー、噂、さらには元政府内部からの暴露が、毎日のようにメディアを賑わせた。唐氏が不倫、そして自宅の改造の非を認めて激しい非難にさらされ、それを挽回しようと今度は梁氏に対して「03年の50万市民デモに暴動対応警察を導入しようとした」と攻撃を始める。その足の引っ張り合いは毎日、新聞を読む者をうんざりさせるに十分で、今月初めに行われた市民アンケート調査では、梁氏に対して口汚い攻撃を繰り返す唐氏に対して印象が悪くなったと答えた市民が51%にも上った。
また、この激しい「政争」が垂れ流されるのを黙ってただ見ているしかなかったドナルド・ツァン行政長官にも、「香港、『白手興家』の終えん」に書いたように市民たちの怒りが向けられ、足元をすくわれた。今や香港市民の政治を取り巻く人々への不信と不満と怒りは最高潮に達している。
それは、行政長官選挙直前の23、24日にかけて民間団体が呼びかけて行われた、市民による模擬選挙の結果にも表れた。市内27か所に設けられた投票所での投票とインターネットを使った投票により22万3千人が投票した。途中でサーバーがハッカーの攻撃に遭うという事故も起こったが、集計結果は白票がなんと54.56%に達していたことが注目された。つまり、わざわざ模擬投票に参加した人々は今回の選挙及び候補者たちに「ノー!」を突きつけたのである。そして翌日に予定されている行政長官選挙でも、「選挙委員は白票を投じ、選挙自体を無効、延期にさせろ」という強い意志を示したのだった。
そして25日当日。選挙委員1200人(実際の投票者は1132人)による投票で梁氏が689票という得票でどうにか既定の過半数を得、わずか285票を獲得しただけの唐氏を破り、当選を決めた。その瞬間から香港中で、「暗黒の時代がやってきた」「隠れ共産党員の時代」「香港には未来はない」といった言葉が飛び交い始めた。英国紙「フィナンシャル・タイムズ」は「今回は、香港における選挙の歴史で敵意、意見の対立、スキャンダルが最大のものであった」と形容し、「これは中国当局に対し、このまま直接選挙を実施しなければこのような混乱が再び起きるぞ、という警告を突きつけた」としている。
香港の政治学者、蔡子強氏は、「これは階級矛盾が政治矛盾を葬り去った選挙だった」と香港紙「明報」に書いている。彼はそこで、特に今回熱心に声を上げた若い世代が、ここ数年社会問題化している産業界の政治的権力膨張をあまりに重視しすぎるあまり、産業界のバックアップを受けた唐氏を陥れ、逆に政治的に共産党に近い梁氏が漁夫の利を得ることになった、とまとめている。そして、梁氏自身が「過去最低の得票率、最低の市民の支持、最低の求心力」の「三低長官」であり、そのかじ取りが今後注目されるとしている。
これまでになく中国共産党と近いとされる梁氏の就任は、本当に文字通り香港を悪くしていくのか。憤懣やるかたないメディアは、梁氏が翌日、中央政府の香港出張所である「中央連絡弁公室」に当選の報告に行ったことを「やっぱり、梁氏当選のバックは中央政府だった」といった口調で書きたてている。
だが......唐氏に大きく傾いていたときに、なにが「中央政府」を梁氏に傾けさせたのか、という分析はいまだに見ない。あれだけ優勢と見られていた唐氏が足を取られたのは、市民による唐氏の行動の告発がきっかけで巻き起こった、唐氏への不信任を叫ぶ市民の声ではなかったのか。激しい抗議と激しい批判、市民を目に入れていなかった唐氏もまさかこんなに簡単に自分が足を取られると思っていなかったのではないか。
香港の人々はまだ気づいていないが、この選挙を本当に中央が糸を引いたとするならば、その中央が市民の抗議に注目したという点をもっとしっかり分析するべきだろう。そうすることで香港市民は2017年に向けて、もっと中国政府に物申す権利を確実に自分たちの手に引き寄せることができるかもしれない。
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