コラム

香港のモブ活動に思うこと

2012年01月10日(火)07時00分

 8日の日曜日、香港九龍の繁華街、広東ロードにある有名ブランド店「ドルチェ&ガッバーナ」(以下、「D&G」)前に数千人の香港市民が集まり、大騒ぎになった。

 直接の起因は、先月「D&G」の前で写真を撮ろうとカメラを構えた人を店員が出てきてさえぎったことだった。九龍半島の繁華街尖沙咀、そこを南北に走る広東ロードの南端から約500メートルほどのところに、20年以上も前から中・高級ブランドが入るショッピングモールが道路に沿って伸びている。特に歩道わきの路面店は「D&G」のほかに「フェラガモ」「プラダ」などが並び、それぞれがブランドイメージをたっぷりと漂わせ、趣向を凝らした店構えだ。

 香港は観光都市だから、どこでも誰でもいつもカメラを提げてシャッターチャンスを狙っている。さらに昨今はカメラ機能を持った携帯電話はほぼ常識だ。観光客だけでなく香港人だってそこがプライベートな場所でさえなければ、誰もが目にしたものをカメラに収めることができると思っている。もちろん、立ち並ぶブランド店のクリスマスや新年、旧正月をはさんだ今の時期に見事なまでにおしゃれに飾られた店構えにカメラを向ける人だって少なくない。

 それを店員が禁ずる権利はあるのか? それが報道されると、香港は騒然となった。きっかけとなった店は「D&G」だったが、それを契機に広東ロード沿いに並ぶ「プラダ」や「フェラガモ」など高級ブランド店に向けて路上からカメラを構えたところ、店から黒人の警備員が出てきて制止されたり、「なぜだ?」と不平を抱いた人ともみ合いにになり、カメラを叩き落された人の例も報告された。するとますます騒ぎはヒートアップし、わざわざ出かけてモール前で写真を撮る人が増え始め、モールからも警備員が出てきてそれを制止するようになった。

 最初は単なる「話題」だったはずのそれが記事になり、「事件」になった頃、「D&G」は「当該店員が未熟だった」と謝罪、「写真を禁じたのはコピーされるのを防ぐため」と説明した。しかし、それは明らかに個別の店員の問題ではなく、また「D&G」一店舗だけでもなく、一連のブランド店、さらにはショッピングモール全体の「態度」、さらには「買わない香港人近寄るべからず」という態度らしい、と人々は理解した。

 そこからフェイスブックに「D&G万人影相活動」ページ(「影相」は「写真を撮る」という意味の広東語)が作られ、今月8日の日曜日に「D&G」の前に集まって写真を撮るよう人々に呼びかけたところ、同店舗前のわずか5メートル程度の幅の歩道に千人近いモブ(群衆)が集まり、押すな押すなの騒ぎになったというわけだ。

 なぜそこまでブランド店側は撮影を嫌がるのか。

 一説では、ブランド店が守りたいのは自分たちの製品のコピーライトではなく(実際のところ、香港の店舗の外で写真撮影を禁止しても、高級ブランドの広告はあちこちにあふれている)、店に入って買い物をする「顧客」たちなのだ、という噂も流れている。今や香港には高級品を買い漁る中国国内からの観光客が押し掛けており、そんな高級店に出入りする顧客のだれかが偶然通行人のカメラに収められ、撮影者が意図するしないに関わらず、あずかり知らぬところでその写真が公開され、その「事実」に気づいた人から情報が流れ出したらどうなるか。

 中国ではかつて、1999年に主権が返還されたマカオに各地の高官がお金を持ってギャンブルに出かけて破産するという騒ぎが続いた。そのお金が実際には個人のお金ではなく、彼らが職務上預かっていた公金であった例も少なくなかった。中国中央政府はその後、中国からマカオへの旅行条件を厳格化してカジノへの出入りを制限したが、そのお金を持て余す人たちはほかの「使い道」をすぐに探し出した。香港の高級ブランド店で高額なバッグや貴金属を、まるでお土産のチョコレートやキャンディのようにぽんぽん買っていく中国人たちの姿は、すでに香港では「小耳にはさんだ」程度の噂ではなく、常態として知られるようになった。

 実際に、中国国内ではその収入に見合わないほどの高級たばこを吸っていたり、高級腕時計をつけていた役人の写真がネットでさらされ、それが汚職の証拠だと非難の的になり、下野した例も少なくない。だから、ブランド店としては「顧客」が店内で買い物している姿を知らぬうちに通行人たちの写真に収められて騒ぎになり、「顧客」に敬遠されるようになってしまえば商売あがったり。それを防ぐために、「顧客」の身分はともかく、通行人たちの自由な写真撮影を禁じるようになった――中国への主権返還以降、中国の役人の汚職や悪政に激しい嫌悪感を持つ香港市民にとって、これも許されない論理だ。

 しかし、今回実際に人々の怒りに直接火をつけたのは、大衆紙「りんご日報」紙記者がモールの警備員ともみ合った際に撮ったビデオがネットで公開され、「買わないやつが写真なんかとるな」という言葉だったらしい。

「中国からの金持ちなら許せるが、貧乏な香港人は外から写真も撮るなと言うのか」「バカにするな、香港の店のくせに」「差別するのか」「金持ちにへつらうのか」、このモブ騒ぎではこういった言葉が口々に叫ばれた。

 ただ、わたしはこの活動をネット上で支援した40代の香港人の友人と話をしていてこう思った、「香港は昔から金持ちには親切な土地柄ではなかったか」と。

 わたしが香港に移り住んだ80年代、香港のブランド店は明らかに金持ちを相手にしていた。わたしのような買う気もない人間が冷やかしに店に入っても、店員は寄っても来なかった。実際にはほとんどの香港人が高級ブランドなぞには興味を持っていなかった。一方で、かつて香港人が中国国内の人たちを見下していたのも、彼らが貧しかったからだ。香港人はそうやって「金」で相手を見ていたのではないか――

 友人は「その通り」とうなづいた。しかし、今回のモブ行動に参加した顔ぶれをビデオで見ると、70年代から80年代生まれの若者が中心だ。彼らはその後の香港の経済成長とともに世界的なブランドと流行に囲まれて育ったが、ここ数年、香港の経済的な地位の凋落と中国から受けている政治的プレッシャーに一番敏感に反応する世代でもある。かつて彼らの父親の世代は「金がない」と中国人を見くびっていたが、彼らはお金を持つ中国人が自分たちの目の前でブランド品を買い漁る様子を苦々しく思っている。

 香港社会は明らかに世代交代に入っている。しかし、今回のモブ行動に対して、かつて80年代を成人として過ごした香港人たちはどう思っているのか、そしてかつて自分の親たちが金持ちだけを優遇してきたことを若い世代はどう思っているのか、今度きちんと尋ねてみたいと思っている。

プロフィール

ふるまい よしこ

フリーランスライター。北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学んだ後、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に文化、芸術、庶民生活、日常のニュース、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。
個人サイト:http://wanzee.seesaa.net
ツイッター:@furumai_yoshiko

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

石破首相「双方の利益になるよう最大限努力」、G7で

ワールド

米中貿易枠組み合意、軍事用レアアース問題が未解決=

ワールド

独仏英、イランに核開発巡る協議を提案 中東の緊張緩

ワールド

イスラエルとイランの応酬続く、トランプ氏「紛争終結
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 10
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story