コラム

光の届かない深海で「暗黒酸素」が生成されていた...光合成だけでない「地球の酸素供給源」とそれを脅かす採掘の脅威

2024年08月06日(火)13時10分

これまでは、ポリメタリック・ノジュールをむやみに採掘すれば、海底環境のバランスが崩れ、漁業に影響を与えたり生物多様性を損なったりする恐れがあると考えられてきました。しかし、今回の国際チームの仮説が正しければ、行き過ぎた採掘は海洋の酸素不足につながりかねないという、さらに深刻な負の効果が懸念されます。

低下し続けるはずの酸素濃度が...

本研究は2013年に始まりました。SAMSのアンドリュー・スウィートマン博士らは、もともとは深海底採掘の影響を評価するために、海底の酸素レベルを調査するつもりでした。

プロジェクトでは、メキシコとハワイの間にある太平洋の深海、クラリオン・クリッパートン地帯の水深約4000メートルの海底に底生チャンバーを設置し、複数の場所で酸素濃度を測定しました。底生チャンバーは、底を開けて海底に押し込むことで、周囲から閉鎖された密閉環境を作ることができる装置です。すると、測定開始から2日間でチャンバー内の酸素濃度が増え続け、開始時の3倍にもなっていました。

これまでの常識から想定される結果は、光が届かない深海では光合成ができないため酸素は生産されず、生物の呼吸や有機物の分解によって海中に溶けた酸素が消費され続けるため、時間が経つにつれて酸素濃度は低下し続けるはずでした。

スウィートマン博士らは、はじめはセンサーの故障と考えました。けれど、再調整した機器を使っても、「深海底付近では時間が経つにつれて酸素濃度が上昇する」という結果は変わりませんでした。

その後、研究チームは21年と22年に別の原理で動く酸素濃度測定器を使い、同海域で4000キロ離れた複数の地点で再度、調査を行いましたが、やはり酸素濃度は時間とともに増え続けました。つまり、酸素濃度の上昇は測定装置のせいや特殊な場所だからではなく、実際にこの海域で起こっているありふれた現象だと考えられました。

「暗黒酸素」の発生源は?

チームは、測定された酸素を「暗黒酸素(dark oxygen)」と名付け、発生源を突き止めることにしました。

原因としてまず考えられたのは、深海の微生物です。たとえば22年には、光が届かない深海に生息している古細菌ニトロソプミルス・マリティムス(Nitrosopumilus maritimus)が、暗闇の中で酸素を生成していることが発見されています。ただし、生成できる酸素はせいぜい自身が利用できる程度の微量でした。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

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