コラム

オバマ回顧録は、類まれな人物の成長と冒険のサーガ

2020年12月10日(木)17時15分

オバマの「冷静さ」は人によっては「弱さ」と映ったのかもしれない Brandon Bell-REUTERS

<私たちが報道で知っている歴史的な出来事を、どのような決断が下されたか内側から解説してくれている>

以前にも書いたことだが、アメリカでは「回顧録」は非常によく売れるジャンルだ。まったく無名の人のものでも、それが興味深い人生であれば大ベストセラーになる。大統領と大統領夫人は、引退後にホワイトハウスでの体験を含めた回顧録を出版し、それがベストセラーになるのがほぼ「決まりごと」になっている。

ビル・クリントン元大統領の妻であるヒラリー・クリントンの回顧録に関してはやや例外だ。2003年に回顧録の『Living History』は最初の1カ月で100万部売れてノンフィクションとして最高記録を作ったが、その当時のクリントンは元大統領夫人だけでなく、現役の連邦上院議員だった。2016年の大統領選挙に破れた後の『What Happened』も発売後しばらくはベストセラーのトップだった。

だが、クリントンの回顧録よりもさらに売れたのが、2018年11月に発売されたミシェル・オバマ元大統領夫人の回顧録『Becoming』だった。2019年にベストセラー1位を続けただけでなく、発売から1年以上経っても売れ続けた。ブックスキャンによると、2020年1月5日から11月14日までの約10カ月間に全米で最も売れた本の23位に入っている。

妻のミシェルよりも回顧録を出すのに時間がかかったのがバラク・オバマ元大統領だ。2020年11月の大統領選挙の後にようやく発売された回顧録『Promised Land』は、発売された最初の週に約83万5000部(ブックスキャンによる)売れ、ベストセラーのトップに躍り出た。1週間ですでに今年のトップ10位に入る売上数である。

『Promised Land』は700 ページ以上もある大作であり、ハードカバーは持ち上げるだけで腕の運動になるほど重い。それなのに、これはただの「前編」なのだという。この前編では、彼の生い立ちからミシェルと出会って結婚するところまでは、小説の「プロローグ」か「サマリー」程度のシンプルさだ。ミシェル・オバマの回顧録で2人の出会いから結婚について知った読者はがっかりするかもしれない。この回顧録が勢いづいてくるのは、オバマが上院議員に立候補することを決めるあたりからだ。そこから2011年のウサマ・ビンラディン殺害の作戦に成功したところまでが「前編」である。「後編」がいつ出版される予定で、何ページになるのかは、今の時点ではたぶんオバマ本人もわかっていないだろう。

オバマの「第三者的視点」

これほどページ数が多い本だが、まったく退屈はしない。オバマが非常に優れた書き手だというのが大きな理由だが、私たちが報道などで知っている歴史的な出来事を、「あの時には実際にはこのような事情から決断がなされたのだ」と内側から解説してくれる。政治を追っていた者にとっては、そこが興味深い。

また、オバマ独自の文章もこれまでの大統領とは微妙に異なる。誰でも、自分が下した決定や言動を説明するときには正当化(言い訳)したくなるものだ。厳しい批判を受ける立場にある大統領にとって、引退後の回顧録はその機会を与えてくれるものだ。だが、オバマの文章からはその衝動をさほど感じない。自分の言動とそれに至る背景を説明してはいるが、そこに「批評者」としての第三者的視点が必ずと言って良いほど現れる。

たとえばノーベル平和賞を受賞したときのことだが、喜ぶどころか「何に対して?」と驚き呆れた反応をしている。そして、自分に対する公のイメージが空気を入れすぎた風船のように過剰に膨らんでいることを自覚し、期待と現実とのギャップの危うさを憂える。人気の頂点にある時に、それが大統領として自分が仕事をするときに逆効果になることをオバマは冷静に予知していたのだ。

そういった部分を読んでいるとき、オバマが現役時代に「aloof」だと批判混じりに評価されたのを思い出した。aloofとは、周囲の人との間に心理的な距離を持っている人を表現する形容詞であり、場合によって「超然としている」というポジティブな意味にもなるし、「お高くとまっている」というネガティブな意味にもなる。自分の言動についても冷静に分析や評価をするオバマは、周囲の人々だけでなく、自分自身との間にも距離を持つaloofな人物なのだと思った。ストレートに自分の考えを表現し、会う人を即座に溶け込ませるようなミシェル・オバマは、そんな夫に対して時折苛立ったのではないかと想像した。

ミシェル・オバマの『Becoming』を読んだ人は、二人の出会いから結婚、子育ての部分で両者の視点の違いを楽しみにしていたと思う。筆者もそのひとりだ。ミシェルは経済的に独立し、働く女性として大きな達成をすることを夢見ていたが、「社会を変える」ために自分の時間と労力をすべて費やしてしまうバラクと結婚してしまったがために、収入と家事育児の責任を負うことになってしまったのだ。それについて、オバマはどう感じているのか知りたかった。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

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