コラム

浜田宏一内閣官房参与に「金融政策の誤り」を認めさせたがる困った人たち

2016年11月20日(日)11時30分

金融政策の転換を基軸に、財政政策と金融政策の協調を

 クー氏のようにすぐれたエコノミストは、堂々と論争を挑まれてきた。それは日本という陰湿な風土の中では、異例ともいえる出来事であり、いまもこの論争は爽快な出来事として筆者のこころに残っている。クー氏と現在の財政政策(というか公共事業)中心主義的な一部の論者の主張とを比べるのはまことに遺憾である。だが、リフレ派=財政政策否定、とでもいうべき間違った解釈の根は、財政政策=公共事業中心主義者の根強いバイアスに思える。

 ただし浜田参与に「金融政策の誤り」を言わせたい陣営は、なにも財政政策=公共事業中心主義者だけではない。筆者がみたところ、(金融緩和を否定しながら、さらに)減税などの財政政策を否定する論者までいる。これは市場におまかせの清算主義者とでもいうべきだろうか。浜田参与に「金融政策は効果がなくて失敗」といわせたい人たちの幅広い同盟をみる思いで、正直苦笑に耐えない。

 浜田参与は、今年のジャクソン・ホールでのクリストファー・シムズ米プリンストン大教授の物価水準の財政理論(Fiscal Theory of Price Level (FTPL))に感銘をうけたとのことである。このシムズの論文は、簡単にいえば、政府がその予算制約をまもるかぎり、積極的な財政支出の増加は必ず物価水準を上昇させるということである。言い換えれば、安倍政権が(民主党政権からの負の遺産を引きずる形で)実行した消費増税は、逆にデフレをもたらすということである。これ自体は財政政策の重要性を強調していて、モデルとして「目からウロコ」が落ちるかどうかは人それぞれだが、まずは傾聴に値する話である。

 浜田参与が、なぜいまの金融緩和だけでは不十分なのかを、このシムズ論文から示唆をうけたことは了解することができる。簡単にいえば、財政政策が引き締めであれば、金融政策の効果が大きく減退するのは明瞭である。この認識をシムズモデルを通じて、浜田参与が理解したのであろう。

 だが、それを「金融政策は効果がない」「金融政策は失敗したと反省している」と読み替えるのは、学者がどうモデルを理解するのかをまったくわかっていない話だ。実践的なセンスのある学者であれば、ひとつのモデルを盲信することなく、いくつかのモデルを理解し、そこから「使える」ものを導くトレーニングと実績を積んでいるのである。浜田参与のシムズ論文の理解もそのような次元だと考えるべきだろう。ちなみに筆者は、先の物価水準の財政理論は、日本のようなデフレ脱却時に増税を行う(緊縮財政を採用する)ことの愚かさを裏付けるモデルとして読むならば参考になると理解している。

 だが他方で、よりエレガントな議論を、欧米の経済学者たちはすでに行っている。例えばガウティ・エガートソンブラウン大学教授は、物価水準の財政理論の欠点を補正した論説「財政乗数と政策協調」をすでに何年も前に公表している。そこでは、90年代からの日本の財政政策がなぜ効果がなかったのかを、財政政策と金融政策の協調がなかったことに求めている。90年代でも金融緩和する一方で、消費増税という財政緊縮政策がとられ、または財政拡大政策のときにゼロ金利解除など金融引き締め政策が採用されるなどちぐはぐだった。特に財政政策が効果的になるには、金融政策の転換が必要条件となる。財政政策だけでは不十分なのだ。

 エガートソン教授は、財政政策と金融政策の緩和的協調が、人々に信認されれば、デフレ脱却の効果に大きく貢献する(しないわけはない)、と検証した。ただこれはなにもエガートソン教授に指摘されるまでもなく、筆者をはじめ多くの日本のリフレ派がこのような、金融政策の転換を基軸に、財政政策と金融政策の協調(ポリシーミックス)を10数年前から(なかには20年以上前から)主張し続けてきているのである。そのシンプルな考えを最新の手法で緻密にモデル化したにすぎない。そのことは先の拙著の引用からもわかることだろう。

 ところで、浜田参与に「金融政策は効果がないこと」を「反省」させたい人たちには、安倍政権になってから現時点までの消費者物価指数、GDPデフレーターがマイナスのままだということを「金融政策に効果がなかったからデフレのまま」と主張しているようだ。だが、これは浜田参与がインタビューで指摘しているように、金融政策が効果がないからではなく、消費増税などの影響である。

 また浜田参与は、日経新聞のインタビューの中で、「国民にとって一番大事なのは物価ではなく雇用や生産、消費だ」と強調している。雇用指標は20数年ぶりの改善を示す数字がならぶ。これは金融政策の効果だが、それを見ないのが、浜田参与に間違いを認めさせたい人たちの共通するマインドである。

 もちろん雇用もまだまだ改善の余地もあり、そして生産と消費も延ばすべきだ。その過程の中でインフレ目標も達成されるべきだろう。そのためにはバイアスのかかった意見を参考にする必要はない。経済低迷には、金融政策の転換を前提にした、財政政策と金融政策の合わせ技を全力でやりぬくべきなのだ。それ以外の選択肢はジャンクだ。

プロフィール

田中秀臣

上武大学ビジネス情報学部教授、経済学者。
1961年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は日本経済思想史、日本経済論。主な著書に『AKB48の経済学』(朝日新聞出版社)『デフレ不況 日本銀行の大罪』(同)など多数。近著に『ご当地アイドルの経済学』(イースト新書)。

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