コラム

クロアチア:憎しみが支配する場所で、愛が最優先されることは可能か

2016年11月15日(火)17時20分

ダリボル・マタニッチ監督『灼熱』。カンヌ国際映画祭「ある視点」部門、審査員賞を受賞

<91年に勃発したクロアチア紛争の悲劇とその後の時代が、斬新な手法で結びつけられていく映画『灼熱』>

忘れ去られる歴史、その先にあるべき希望

 最近の旧ユーゴスラビア諸国の映画のなかで、市場経済によって変化する現代と民族紛争という過去をとらえる視点が対照的で印象深かったのが、パヴレ・ブコビッチ監督の『Panama』(15)(※『インモラル・ガール〜秘密と嘘〜』のタイトルでDVD化されている)とVuk Rsumovic監督の『No One's Child』(14)だ。監督はともにセルビア出身だが、その視点はユーゴ諸国全般に当てはまる。

 『Panama』では、大学で建築を学び、奔放なセックスライフを送る主人公が、クラブで偶然出会った女性にのめり込んでいく。彼女のSNSに自分が知らない別の顔を発見した彼は、彼女の足跡をたどって街中を彷徨う。やがて彼女は幻影であったかのように消え去り、その解釈は観る者に委ねられることになるが、興味深いのは、清潔で洗練された空間で生活する主人公が、瓦礫の山や廃墟に導かれていることだ。それは、市場経済のなかで忘れ去られる歴史を暗示していると見ることもできる。

 一方、実話に基づく『No One's Child』では、これまでにない視点から歴史が見直される。物語は1988年にボスニア・ヘルツェゴビナの山林でオオカミと暮らす少年が発見されるところから始まる。彼はユーゴスラビアの首都だったベオグラードの孤児院に送られ、徐々に野獣から人間へと変貌を遂げていく。しかし、紛争が勃発しユーゴが解体すると、故郷に送り返され、銃を持たされ、戦場に駆り出される。このドラマのなかの主人公は、運命に翻弄される弱者だが、野生を内に秘めたその存在は、民族的アイデンティティに揺さぶりをかけ、現代に訴えかけるパワーを放っている。

 冒頭からなぜこのような対比をしたかといえば、今回取り上げるダリボル・マタニッチ監督『灼熱』(15)に、両作品に通じる視点が盛り込まれているからだ。カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の審査員賞に輝いたこの作品では、91年に勃発したクロアチア紛争の悲劇とその後の時代が、斬新な手法で結びつけられていく。

 映画は3部構成で、1991年、2001年、2011年という異なる時代を生きる若いセルビア人女性とクロアチア人男性の物語が描かれる。そんな3組の男女を同じ俳優が演じ、しかも同じ場所を舞台にしているため、物語が展開するに従って、そこに直線的な流れとは異なる密接な繋がりが生み出されるのだ。

 紛争が始まろうとする1991年には、隣り合う村に暮らす恋人同士のイェレナとイヴァンが、戦火を逃れてザグレブに移るという願いも叶わず、引き裂かれていく。紛争終結後の2001年には、母親とともに廃墟と化した我が家に戻ったナタシャと、その家を修理するために母親に雇われたアンテが、互いの民族を憎みながらも惹かれあう。平和を取り戻した2011年には、ザグレブの大学に通うルカが久しぶりに帰郷し、過去と向き合う決心をする。彼はかつて恋人マリヤを妊娠させ、交際に反対する母親に仲を引き裂かれ、逃げるように故郷を後にしていた。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

アングル:値上げ続きの高級ブランド、トランプ関税で

ワールド

訂正:トランプ氏、「適切な海域」に原潜2隻配備を命

ビジネス

トランプ氏、雇用統計「不正操作」と主張 労働省統計

ビジネス

労働市場巡る懸念が利下げ支持の理由、FRB高官2人
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ関税15%の衝撃
特集:トランプ関税15%の衝撃
2025年8月 5日号(7/29発売)

例外的に低い日本への税率は同盟国への配慮か、ディールの罠か

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    日本人の児童買春ツアーに外務省が異例の警告
  • 3
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿がSNSで話題に、母親は嫌がる娘を「無視」して強行
  • 4
    カムチャツカも東日本もスマトラ島沖も──史上最大級…
  • 5
    【クイズ】2010~20年にかけて、キリスト教徒が「多…
  • 6
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 7
    これはセクハラか、メンタルヘルス問題か?...米ヒー…
  • 8
    枕元に響く「不気味な咀嚼音...」飛び起きた女性が目…
  • 9
    一帯に轟く爆発音...空を横切り、ロシア重要施設に突…
  • 10
    オーランド・ブルームの「血液浄化」報告が物議...マ…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 3
    囚人はなぜ筋肉質なのか?...「シックスパック」は夜つくられる
  • 4
    いきなり目の前にヒグマが現れたら、何をすべき? 経…
  • 5
    日本人の児童買春ツアーに外務省が異例の警告
  • 6
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿…
  • 7
    いま玄関に「最悪の来訪者」が...ドアベルカメラから…
  • 8
    中国が強行する「人類史上最大」ダム建設...生態系や…
  • 9
    枕元に響く「不気味な咀嚼音...」飛び起きた女性が目…
  • 10
    【クイズ】1位は韓国...世界で2番目に「出生率が低い…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失った
  • 3
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅で簡単にできる3つのリハビリ法
  • 4
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が…
  • 5
    幸せホルモン「セロトニン」があなたを変える──4つの…
  • 6
    囚人はなぜ筋肉質なのか?...「シックスパック」は夜…
  • 7
    「細身パンツ」はもう古い...メンズファッションは…
  • 8
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 9
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 10
    ロシアの労働人口減少問題は、「お手上げ状態」と人…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story