コラム

スウェーデンのNATO加盟はほぼ絶望的に──コーラン焼却「合法化」の隘路

2023年07月05日(水)19時40分

トルコなどイスラーム各国からの抗議もあり、スウェーデン警察は2月、「治安上の理由」からデモにおけるコーラン焼却を禁じた。

ところが、スウェーデンの裁判所はその後、「治安上の理由はデモの権利を制限できない」として警察の決定を覆した。つまり「表現の自由」が優先される、というのだ。

トルコのエルドアン大統領が「コーラン焼却が認められるならスウェーデンのNATO加盟はない」と警告するなか、この裁判所命令は下された。

その一方でスウェーデン政府は6月21日、「トルコが求めていた'テロ対策強化'は実施した」と述べ、「当初の約束に従い、トルコはスウェーデンのNATO加盟を認めるべき」と主張した。

そして発生したコーラン焼却

こうして対立がエスカレートしていた6月28日、ストックホルムで事件が発生した。

この日はイスラームの祭日「イード・アル・アドハー」初日に当たり、セントラルモスクに多くの信者が集まっていた。その前で一人の男がメガホンでイスラームを批判する演説を行なったうえ、コーランを燃やして踏みつけたのだ。

コーランを燃やしたのはいわゆる極右活動家ではなく、サルワン・モミカと名乗るイラク難民で、スウェーデンの市民権を取得していた。モミカはCNNの電話取材に対して「自分は無神論者」と主張し、「コーランは危険」「世界中で禁止すべき」と自論を展開している。

中東出身者がコーランを燃やしたことを「'ムスリムは危険'と思わせるトリック」と疑う意見もあるが、モミカ以外の誰かがかかわっていた証拠はない。

「合法であっても適切ではない」

しかし、この事件はトルコはもちろん、ムスリム人口の多い中東、アフリカ各国の批判を噴出させた。とりわけ、先進国と友好的なモロッコがスウェーデン大使を引きあげさせるという強い反応に出たことは注目された。

法的に違法でないため、モミカがおとがめなしだった(後日、警察はヘイトクライムで調査中と発表した)一方、モミカに暴行を加えようとした信者が警官に取り押さえられたことが、多くのムスリムの目に「不公正」と映っても不思議ではない。

NATOを率いるアメリカも渋い顔を隠さない。国務省報道官は「表現の自由を尊重する」と述べる一方、コーラン焼却を批判し、さらに「合法かもしれないが適切とは限らない」と、スウェーデンの裁判所を暗に批判した。

こうした状況に、スウェーデンのウルフ・クリステルソン首相も「合法だったが適切でなかった」と認めたが、その一方で「NATOに加盟できる」とも述べている。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

IMF、24・25年中国GDP予想を上方修正 堅調

ワールド

ごみ・汚物風船が韓国に飛来、「北朝鮮が散布」と非難

ワールド

中国軍事演習、開戦ではなく威嚇が目的 台湾当局が分

ビジネス

自民の財政規律派が「骨太」提言案、円の信認と金利上
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:イラン大統領墜落死の衝撃
特集:イラン大統領墜落死の衝撃
2024年6月 4日号(5/28発売)

強硬派・ライシ大統領の突然の死はイスラム神権政治と中東の戦争をこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    中国海軍「ドローン専用空母」が革命的すぎる...ゲームチェンジャーに?

  • 2

    自爆ドローンが、ロシア兵に「突撃」する瞬間映像をウクライナが公開...シャベルで応戦するも避けきれず

  • 3

    メキシコに巨大な「緑の渦」が出現、その正体は?

  • 4

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 5

    汎用AIが特化型モデルを不要に=サム・アルトマン氏…

  • 6

    プーチンの天然ガス戦略が裏目で売り先が枯渇! 欧…

  • 7

    「なぜ彼と結婚したか分かるでしょ?」...メーガン妃…

  • 8

    なぜ「クアッド」はグダグダになってしまったのか?

  • 9

    ロシアの「亀戦車」、次々と地雷を踏んで「連続爆発…

  • 10

    ハイマースに次ぐウクライナ軍の強い味方、長射程で…

  • 1

    ロシアの「亀戦車」、次々と地雷を踏んで「連続爆発」で吹き飛ばされる...ウクライナが動画を公開

  • 2

    自爆ドローンが、ロシア兵に「突撃」する瞬間映像をウクライナが公開...シャベルで応戦するも避けきれず

  • 3

    「なぜ彼と結婚したか分かるでしょ?」...メーガン妃がのろけた「結婚の決め手」とは

  • 4

    ウクライナ悲願のF16がロシアの最新鋭機Su57と対決す…

  • 5

    黒海沿岸、ロシアの大規模製油所から「火柱と黒煙」.…

  • 6

    戦うウクライナという盾がなくなれば第三次大戦は目…

  • 7

    中国海軍「ドローン専用空母」が革命的すぎる...ゲー…

  • 8

    能登群発地震、発生トリガーは大雪? 米MITが解析結…

  • 9

    「天国にいちばん近い島」の暗黒史──なぜニューカレ…

  • 10

    少子化が深刻化しているのは、もしかしてこれも理由?

  • 1

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 2

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 3

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 4

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 5

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 6

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 7

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 8

    ロシアの「亀戦車」、次々と地雷を踏んで「連続爆発…

  • 9

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story