コラム

なぜ5月14日に米国はエルサレムで大使館を開設したかー「破局の日」の挑発

2018年05月15日(火)20時46分

これに対して、アラブ諸国は「立ち退きを呼びかけていない」とイスラエルの主張を否定しており、「イスラエル兵が無差別の虐殺を行い、これを恐れたパレスチナ人が離れた後で土地を奪った」という立場です。

混乱の中ですから、どちらの言い分が正しいかの検証は困難です。しかし、確かなことは、第一次中東戦争の結果、数多くのパレスチナ人が行き場をなくし、イスラエルの支配地域にある、もとの居住地に戻りたくても戻れないことです。

「国なき民」として迫害されたユダヤ人がイスラエルを建国したことが、少なくとも結果的に、別の「国なき民」を生んだことは間違いなく、しかもその状態は現在進行形で続いているのであり、5月14日はこの「破局」を象徴する日なのです。

驕るトランプ政権

こうしてみたとき、米国政府が5月14日にエルサレムで在イスラエル大使館を開設したことは、イスラエルの独立記念日に花を添えるものではあっても、イスラーム圏からみれば挑発以外の何物でもありません。

ところが、米国政府は「現実を受け入れただけ」と強調し、イスラエルによるエルサレムの実効支配が続く現状を受け入れることが「現実的」だと主張したうえで、それでもイスラエル・パレスチナの和平を仲介する意思を示しています。

この強気で傲慢ともいえる姿勢は、トランプ政権の真骨頂かもしれません。

ただし、それは「敵に塩を送る」ことにもなりかねません。

パレスチナ問題は公式にはイスラーム世界全体で取り組むべき課題で、実際にはともかく、どの国もこれに消極的なそぶりを見せることすらできません。

そのなかで、エルサレムへの大使館移設問題で、とりわけ米国を強く批判しているのは、パレスチナの武装組織ハマスを支援してきたトルコやイランなど米国と距離を置く国です。

一方、イランへの敵意で米国と共通する同盟国サウジアラビアは、従来の方針を見直し、イスラエルとの関係改善を模索しています。

サウジの実権を握るサルマン皇太子は、形式的にはイスラームの重要性を否定しませんが、実質的には国家主義者といえます。そのため、エルサレムへの大使館移設に関しても批判のトーンは抑え気味です。

この状況は、イスラーム世界においてサウジの求心力を低下させ、トルコやイランの影響力を強めることにもなり得ます。

すでにカタールやアラブ首長国連邦など、サウジの足場であるペルシャ湾岸の君主国家でもサウジへの離反の動きがみられるなか、エルサレムでの大使館開設により米国は自分の首を絞めることになりかねないのです。

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。他に論文多数。

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プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

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