コラム

社会学者・上野千鶴子に問う他者への想像力

2021年03月30日(火)18時00分

HISAKO KAWASAKIーNEWSWEEK JAPAN

<上野千鶴子氏の新著『在宅ひとり死のススメ』を読んで思う。この誰もが知る社会学者、そして「炎上上等」の論客に決定的に欠けているのは、自分には推し量ることができないもの、当人にしか分からない他人の事情に対する想像力なのではないか>

今回のダメ本

ishido-web02-210330.jpg在宅ひとり死のススメ
上野千鶴子[著]
文春新書
(2021年1月)

上野千鶴子さんは、言わずと知れた超有名社会学者である。日本におけるフェミニズム研究を分野ごとつくり上げたと言っても過言ではなく、その功績の大きさは誰もが認めるところでもあるし、私も学生時代から著作を読んできた。だからこそ思う。今の時代、声を上げること、異議申し立てをすることでムーブメントが起こるようになったのは、上野さんが切り開いてきた、フェミニズム研究の蓄積によるものだ。

一方で、上野さんはネット上の炎上を全く意に介さない論客でもある。2017年の中日新聞のインタビュー記事「平等に貧しくなろう」では、移民問題をめぐりこんな発言をしている。「日本は『ニッポン・オンリー』の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう」

ネット上で問題が指摘されたが、本人は批判に対して「誤読がある」と堂々と反論している。誤読というのは、読むほうが悪いという理屈であり、ケンカに勝つためには、相手に非を押し付けたほうがいいのだろう。だが、彼女の反論を読んでも、本当に批判したほうが悪いかどうかは分からないままだった。

上野さんの文章は、時に論争に勝つためなのか、立ち位置の違う相手を突き放すような表現が出てくる。本書もまた例外ではない。上野さんの論旨は明快で「在宅で、サービスを受けながら一人で死んでいく」ことは決して難しくないというものだ。

「おひとりさまなら自宅が全部個室ですから。何より、家賃を払わずにすむ持ち家を保有している年寄りが、わざわざ賃料を払って施設に入居する理由がわたしにはわかりません」

「わたしが不思議でならないことがあります。それは自分で電話をかけられる力のある高齢者が、緊急時に遠く離れて住んでいる子どもに電話することです」

彼女のファンなら、小気味良いと拍手喝采かもしれないが、ここには、自分には推し量ることができないもの、当人にしか分からない「15分で来てもらえる訪問看護師や介護職の方」に電話できない理由への想像力はみじんも感じられない。

プロフィール

石戸 諭

(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター。1984年生まれ、東京都出身。立命館大学卒業後、毎日新聞などを経て2018 年に独立。本誌の特集「百田尚樹現象」で2020年の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を、月刊文藝春秋掲載の「『自粛警察』の正体──小市民が弾圧者に変わるとき」で2021年のPEPジャーナリズム大賞受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象――愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)、『ニュースの未来』 (光文社新書)など

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