コラム

既存メディアの限界なのか

2010年10月15日(金)13時16分

 連日多数の人が殺され、それを報道する新聞記者たちも、次々に消されていく。たまりかねた新聞社は、遂に報道の自由を放棄。麻薬密売組織のことを報道しなくなってしまった。

 こんなことが、報道の自由を謳歌しているアメリカの隣の大国で起きているのに、日本の国内では、大きな扱いにはならない。これに歯がゆい思いをしていたのですが、本誌日本版10月20日号は、ようやくこの問題を取り上げました。「麻薬戦争に現われた『救世主』ブログ」というタイトルの記事です。麻薬戦争が繰り広げられているのは、アメリカの南隣のメキシコなのです。

 この記事には、麻薬カルテルによって殺されたと見られる死体が吊るされているショッキングな写真が添えられています。極めて衝撃的なシーンを撮影した写真ですが、極力グロテスクにはならないように配慮されてもいます。残虐な事件は、写真によって迫真的になるけれど、目を背けたくなってしまう。こんなジレンマの中で、ギリギリの構図なのでしょう。

 今年7月16日、メキシコ北部の街中で、麻薬組織とメキシコ軍が衝突。5時間に及ぶ銃撃戦で、12人が死亡し、21人が負傷するという大事件になったにもかかわらず、地元の日刊紙は、この事件をまったく扱いませんでした。どうしてか。報道することによって、新聞記者が殺害されてしまう恐れがあるからです。

 メキシコの麻薬組織は、国内メディアを脅し、自分たちに不利な記事を掲載した新聞社に対しては、見せしめのために記者やカメラマンを処刑するというのです。9月に自社のカメラマンが射殺された新聞は、1面で麻薬組織に、こう訴えたそうです。

 「われわれに何を求めているのか説明してほしい。何を報道すべきで、何を報道してはいけないのか」

 どういう基準で自社のカメラマンが殺害されたかわからないため、「報道の許容範囲を教えてくれ」と呼びかけているのです。もはや懇願です。

 メキシコ政府が、麻薬組織との戦いを始めて4年。この間の死者は2万8000人に上ります。これはもう、戦争です。

 「ジャーナリスト保護委員会(CPJ)によると06年以降、30人以上のジャーナリストが殺害されるか行方不明になっている」というのです。

 自社ビルを構え、輪転機を据えつけた新聞社は、狙われやすい存在です。こんなとき、ウェブ専門のメディアなら、どこにいても記事をウェブにアップでき、本社ビルも必要ありませんから、麻薬組織に狙われにくいという特徴があります。

 この機能をフルに活用しているのが、「ブログ・デル・ナルコ」です。これを運営しているのは、メキシコ北部に住む一人の匿名の男子大学生。麻薬組織の動きを細かく伝えますが、麻薬組織については中立の立場をとり、「彼らに否定的な言葉を使わないようにしている」とか。

 このブログでは、麻薬組織から送りつけられてきた残虐な写真をそのまま掲載します。その結果、麻薬組織が力を誇示する道具にもなっていますが、市民にとっては、麻薬戦争の様子や実態を知る上で貴重な情報源にもなっているのです。

 既存の新聞社より身軽なので、麻薬組織の標的にはなりにくいけれど、伝統ある新聞社の報道理念のようなものは、そこにはありません。でも、新聞が一切報道しないのに比べれば、ずっといいではないか、という問題提起なのです。

プロフィール

池上彰

ジャーナリスト、東京工業大学リベラルアーツセンター教授。1950年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHKに入局。32年間、報道記者として活躍する。94年から11年間放送された『週刊こどもニュース』のお父さん役で人気に。『14歳からの世界金融危機。』(マガジンハウス)、『そうだったのか!現代史』(集英社)など著書多数。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:韓国コスメ、トランプ関税の壁越え米で実店

ワールド

再送(8日配信記事)-赤沢氏「合意の結論に直ちに結

ワールド

ロシア、ウクライナ東部ドニプロペトロウスク州に進軍

ワールド

米中、9日にロンドンで通商協議 中国側は何副首相が
MAGAZINE
特集:韓国新大統領
特集:韓国新大統領
2025年6月10日号(6/ 3発売)

出直し大統領選を制する李在明。「政策なきポピュリスト」の多難な前途

メールマガジンのご登録はこちらから。
メールアドレス

ご登録は会員規約に同意するものと見なします。

人気ランキング
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊の瞬間を捉えた「恐怖の映像」に広がる波紋
  • 3
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラドールに涙
  • 4
    猫に育てられたピットブルが「完全に猫化」...ネット…
  • 5
    日本の女子を追い込む、自分は「太り過ぎ」という歪…
  • 6
    ウクライナが「真珠湾攻撃」決行!ロシア国内に運び…
  • 7
    ひとりで浴槽に...雷を怖れたハスキーが選んだ「安全…
  • 8
    ペットの居場所に服を置いたら「黄色い点々」がびっ…
  • 9
    50歳を過ぎた女は「全員おばあさん」?...これこそが…
  • 10
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story