コラム

「オンデマンド」に進化するテレビを訴訟で妨害するテレビ局

2010年12月16日(木)17時50分

 最高裁は14日、「まねきTV」をめぐる訴訟の口頭弁論を開いた。この訴訟は、テレビ局がまねきTVのサービスを行う永野商店を被告として起こしたもので、一審と二審ではテレビ局側が敗訴したが、最高裁が口頭弁論を開くのは二審判決を変更する場合が多いので、逆転勝訴の可能性が強まってきた。この小さな事件は、今後のネット配信の動向を左右する可能性がある。

 まねきTVは、ソニーの「ロケーションフリー」(ロケフリ)を永野商店のオフィスに置き、インターネットで番組を配信する有料サービスだ。ユーザーは海外駐在員が多く、海外で見られない日本の番組をインターネット経由で見るためなどに使われている。ところがNHKと民放キー局5社は2006年、これが「放送番組の再送信サービスで著作権法違反だ」として差し止めの仮処分を求める訴訟を東京地裁に起こした。

 一審、二審とも原告が敗訴して仮処分申請は棄却されたが、テレビ局はサービス差し止めを求める本訴訟を起こし、これも一審、二審ともに敗訴して上告していた。最高裁でテレビ局側が勝訴すると、同様のオンデマンド配信サービスはすべて違法という判例が確立する可能性が強い。

 そもそもわからないのは、このサービスで誰が被害を受けるのかということだ。まねきTVは不特定多数に対して放送するわけではなく、ユーザーが自分の機材で自分で選んだ番組を見るだけなので、家庭のDVDレコーダーで見るのと同じだ。ところがテレビ局側は、まねきTVがテレビ局の「送信可能化権」を侵害すると主張している。彼らは今まで、あらゆるオンデマンド配信を警察に通報したり訴訟を起こしたりしているが、敗訴したのはこの事件だけだ。

 この事件の前に行われた訴訟では、録画装置からインターネット経由で送信するサービスが違法という判決が出たが、まねきTVの場合にはユーザーのもつ市販のロケフリに置き場所を貸しているだけ、という解釈で合法とされた。これまでは、この2008年の東京高裁(知財高裁)の判決が配信サービスでクロとシロをわける基準とされていたが、今回、最高裁が高裁判決を変更する可能性が出てきたことで、この基準もゆらいできた。

 まねきTVのようなユーザー数百人の零細なサービスに、NHKと民放が弁護団を組んで執念深く訴訟を繰り返し、敗訴しても最高裁まで争うのは、世界にも例をみない異常な行動である。その理由は、これがインターネットでテレビ番組を再送信するIP再送信の「蟻の一穴」になることを恐れているからだ。

 地上デジタル放送は著作権法でIP再送信が禁止され、例外的に放送局の放送区域内で同じ放送を再送信することだけが認められている。これは放送がインターネットで全国に流れると、地方民放の視聴者が減るからだ。まねきTVのようなサービスが認められると、サーバを介して県境を超えて再送信できるようになり、経営の苦しい地方民放の経営がさらに苦しくなることをテレビ局は恐れているのだ。

 しかし2004年にこの種の訴訟が最初に起こされてから、世界のテレビは大きく変わった。同時に不特定多数に「放送」する時代は終わって、必要なときにオンデマンドで見る方向になり、インターネットと融合したサービスに進化しているのだ。

 BBCのiPlayerを初めとして世界のテレビ局がIP送信を開始し、オンデマンド配信はケーブルテレビ局の主要なサービスになっている。アメリカではABC、NBC、FOXのテレビ番組がすべてオンデマンドで見られるhulu.comというウェブサイトもできた。視聴者の減少するテレビ局にとってオンデマンド配信は視聴者をつなぎ止める有力な手段となり、テレビ局自身がIP送信ビジネスを始めているのだ。

 ところが日本では、遅ればせながらNHKが有料サービス「NHKオンデマンド」を開始したが、そのアクセスは月間40万回。無料で見られるBBCのiPlayerが月間1500万回再生され、欧州一の人気サイトになっているのとは比較にならない。インターネット放送も、地デジの再送信ができないため振るわない。自分の受信した番組を自分で見ることまで禁止されるとなれば、日本のオンデマンド配信は大きく立ち遅れるだろう。

 もう役割を終えた地方民放を守るために、全テレビ局が団結して新しいビジネスを妨害するこの訴訟は、古い業者の既得権を守ってイノベーションをつぶす日本の象徴だ。NHKは、公共放送として恥ずかしくないのか。こういう悪質な業者を放置したまま、政府が「光の道」などのインフラ整備ばかりやってもコンテンツは流通せず、日本の情報通信の遅れは取り戻せない。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米ウクライナ首脳、日本時間29日未明に会談 和平巡

ワールド

訂正-カナダ首相、対ウクライナ25億加ドル追加支援

ワールド

ナイジェリア空爆、クリスマスの実行指示とトランプ氏

ビジネス

中国工業部門利益、1年ぶり大幅減 11月13.1%
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それでも株価が下がらない理由と、1月に強い秘密
  • 3
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と考える人が知らない事実
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 6
    「アニメである必要があった...」映画『この世界の片…
  • 7
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    2026年、トランプは最大の政治的試練に直面する
  • 10
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 6
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story