World Voice

powerd_by_nw

南米街角クラブ

島田愛加|ブラジル/ペルー

30歳でブラジルの州立音楽院の学生になる(前編)

タトゥイにある州立音楽院 Conservatório de Tatuí(2012/03/17 Photo by Aika Shimada)

音楽。
何世紀も昔から人々に親しまれてきた文化の一つであり、この世になくてはならない言っても過言ではない。
私には音楽のない人生なんて考えられない。

多くの人に愛される音楽。
そんな音楽を極めたいと専門的に学ぶ人も多いが、実際に音楽だけでご飯を食べていける人はそう多くない。

私は5歳でピアノを習い始め、その後は音楽以外の選択肢はもたず、中高生の頃は吹奏楽部で青春を謳歌し、音楽大学へ進学した。
大学4年次、本来なら就職活動に追われる時期だが、音大生はこの就職活動とはあまり縁のない生活を送る。
もちろん一般企業や教育機関に就職する人もいるが、多くの人が「フリーランス」として音楽事務所や音楽教室と業務委託契約をして働く。
私自身、周囲には教師になると話していたにも関わらず、演奏家としてやっていきたいというのが本音だった。(この頃既に、ボサノヴァやジャズに興味を持ち、そっちに転向したいと思っていたのである)

ただ、漠然とボサノヴァがやりたいという夢は、単なる夢であって、なんの現実味もなかった。
そんな時、大学の掲示板に張られた自衛隊の音楽隊要員の募集が目に入る。
悩んでいる時間もなく、私はこれまで学んできたことを活かせる仕事に就こうと決めた。
無事試験に合格することができたのだが、実際は入隊する当日まで心の準備はできていなかった。

音楽隊要員で入った私も、他の新入隊員たちと一緒に訓練をするのだが、私は運動が大の苦手なのである。
競争すれば常に最下位、腕立て伏せは1回もできない。同期に「頑張れ!」と励まされるのもが辛かった。(なぜなら既に頑張っているからだ)
それでも同期は優しく接してくれ、教官も悪意があって新入隊員に厳しくしているのではないとわかっていたが、ただ音楽を続けたいとだけ思っていた私がいるべき場所ではなかった。
何より、右に行けと言われると左に行きたくなってしまう自分の性格に合わなかった。
結局、任期満了前に退職。
当初は申し訳ないという気持ちでいっぱいだったが、転職は悪い事ではない。
むしろ、いくつかの職場を経験した方が自分に合った働き方をみつけることができるだろう。

こうして私は「フリーランス」の音楽家となった。
フリーランスになってからは、ポピュラー音楽の演奏も始め、音楽教室では学んできた基礎知識を活かすこともでき、自分より年上の生徒さんから逆に学ばせてもらうことも多かった。
音楽だけでは食べていけない時期に別の分野の仕事も掛け持ちしたことも、良い経験となった。

落ち着いてきた頃、自分用のパソコンを購入し、少しずつブラジル音楽に関する情報を集める。
思ったよりもブラジル本国からの情報が少ない。ボサノヴァもそうだが、日本で有名なブラジル音楽はアメリカを経由して入るものが多かった。
周りにブラジル音楽が好きな人もいなかったため、まずはコミュニティを探そうと思い、西荻窪にあるAparecidaというお店のウェブサイトにたどり着く。
忘れもしない土曜日の夜、勇気を出して店のドアを叩いてみた。
ブラジル国旗、色味の強い雑貨が広がる別世界の空間に、聴いたこともないようなリズムの音楽が流れている。
てっきりボサノヴァが流れているのかと思ったら大間違いで、メニューもポルトガル語表記(現在は日本語表記もある)、えらい場所に来てしまったなぁと少し後悔し始めたころ、店の常連さんが続々とやってきた。
この日はブラジルの最新ヒット曲や日本では知られていなうような曲ばかりが流れるコアなDJイベントで、もしかしたらこの日が私の運命を変えた日だったかもしれない。

店に足を運ぶ度、店主のWillie氏はブラジルの話を惜しまずしてくれた。
ブラジルの文化、どんな音楽が流行っているか、極めつけにボサノヴァがブラジルでは過ぎ去ったムーブメントだという悲しい現実も教えてくれた。
そして数ヶ月後の2010年1月、店主催のツアーのおかげで初めてブラジルを訪れた。
ポストカードのようなリオデジャネイロの風景、夏の熱い日差しと夜の甘ったるい風、そして美味しい料理。
ボサノヴァの名曲「イパネマの娘」が生まれたバーのある一角を散歩することもできた。
何のイメージもなかったサンパウロは予想以上に大都会で、東京に住んでいる私にはしっくり来た。

百聞は一見にしかずとは、まさにこのことだった。
実際に自分の目で見た10日間の滞在は、私が何年もブラジルについて調べてきた時間より何十倍も興味深いものだった。
いくらインターネットが普及していても、自分の目で見て、自分の手で触れたものには叶わない。
ブラジルの匂いが忘れられなくなった。


1.jpgのサムネイル画像初リオデジャネイロ。強盗に合わないようにと古いTシャツを着てスーパーの袋に荷物を入れていた。(2010/01/02 Photo by Aika Shimada)

帰国してからは次の渡伯に向けて準備をし、2014年に単身でサンパウロへ渡る。
サンパウロに3ヶ月、リオデジャネイロに3ヶ月住みながら、音楽やポルトガル語のレッスンを受けたり、ライヴ鑑賞をして帰国する予定だった。
現地に身寄りもなくポルトガル語も話せない私は、東洋人街と呼ばれるリベルダージ地区にある日本人向けの宿舎に泊まることにした。そのおかげで到着後、すぐに現地在住の日本人と出会うことができた。
二重国籍、語学留学、起業、サッカー好きなど理由はそれぞれだが、殆どの人が自分の意志でブラジルに住んでいる。
日本にいた頃に「ブラジルへ行く」というと、不思議そうに見られる事が多かったが、ここには私と同じような人しかいない。ブラジルの良さをわかりあえる人たちに出会って、少しホッとしたのを覚えている。

間もなくして、サンパウロ郊外にある南米最大の音楽院に通っているギタリストを紹介してもらった。
ブラジル音楽とジャズを専門的に学べるコースがあり、多くのミュージシャンを輩出している有名な音楽院で、私も名前を知っていた。 話を聞くと、コースは最長で7年間、専攻楽器の他にアンサンブル、理論、歴史、ブラジルのパーカッションなどを学べる。
州立のため学費はかからない。更には希望者には無料の学生寮も用意されている。

ブラジルの州立、連邦立、市立など公立学校(義務教育と大学)は学費が一切かからない。私のような外国人でも同じだ。
公立音楽院も学費がかからないため、南米諸国からの留学生も多い。
音楽院以外にも各州や市を中心とした子供向けの音楽プロジェクトも多く、希望者は音楽レッスンを無料で受けることができ、楽器も貸し出しされる。
ブラジルの公立学校には音楽の授業がないため、音楽に興味がある子供たちはプライベートレッスンを受けることになるが、全ての家庭がそういった余裕があるとは限らない。 その場合はプロジェクトに参加して音楽の基礎を学ぶことができるのだ。
但し希望者も多いため、参加するためには抽選や審査がある。

カーニヴァルが明けてから、友人にお願いして音楽院の見学に連れて行ってもらった。
タトゥイという、サンパウロ市内からバスで2時間程走った街にその音楽院はある。
そのおかげで"音楽の街"として知られているが、逆に言ってしまうと音楽院以外に何もない田舎街だ。

音楽院の敷地内に入れば、どこからともなく楽器を練習する音が聴こえてくる。
まずは友人が履修している編曲のクラスを見学させてもらったのだが、ポルトガル語が全くわからなかった。それでも先生が黒板に書いたサンバのメロデイにすっかり心奪われる。
午後はJazz Comboという音楽院の先生と演奏員、オーディションに合格した奨学生によるグループのリハーサルを見学した。
リハーサルではそれぞれが自分の意見を言い合い、途中で曲を止めてはアレンジを変えるという実験的な方法で進められているのが新鮮だった。彼らが演奏していた曲はもちろんブラジル音楽だ。

ここで勉強できたらどんなに楽しいだろうか。
小さい頃からアカデミックに音楽を勉強してきた私にとって、「ブラジル音楽を学校で勉強できる」なんて、夢のまた夢のような世界だ。
見学に行った日から、音楽院で勉強してみたいという気持ちが抑えきれなくなっていた。
しかし、この年はブラジルワールドカップにより、音楽院の入学試験日程が私の帰国予定日より後に変更になってしまった。
そんな時、急に新入生の中途募集がされることになったと連絡をもらう。
州立学校は店員が定められているため、学期の途中で休学や退学をした学生が増えると、このように中途募集を行う場合がある。
私は勝手にも、これは縁だと思い込み、予定していたリオデジャネイロ行きを辞めて受験を決めた。

合格者の発表は予定より早くウェブサイトに掲載され、アルファベットで書かれた自分の名前を見つけた。
30歳にて、再び学生になった。
始めのうちは少し恥ずかしさを感じていたが、音楽院のブラジル音楽/ジャズコースに通う学生は年齢層が高かった。
入試の倍率が高いこともあり、殆どの学生が既に音楽経験があり、音楽家として仕事をしている。
私と同じように音楽大学を卒業してから入学する人も沢山いた。
年齢に関係なく、学びたいという気持ちを持つことは何も恥ずかしい事ではない。
今回の試験には、50歳近い受験生もいた。(当時、受験生の年齢が公表されていたが現在は廃止されている)

こうして晴れて合格証明書を手にした私は、学生ビザ取得のために一時帰国した。
全く予想もしていなかった展開に、家族はもちろん周囲を驚かせてしまったが、私は自分の可能性と縁にかけてみたかった。
そして半ば反対を押し切って取得したビザを手に再びサンパウロへ向かったのだった。

 

Profile

著者プロフィール
島田愛加

音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。

Webサイト:http://www.aikashimada.com

Twitter: @aika_shimada

Ranking

アクセスランキング

Twitter

ツイッター

Facebook

フェイスブック

Topics

お知らせ