コラム

マスクの季節、電柱の林を超えて梅と高速道路の里・高尾へ

2019年04月03日(水)16時30分

◆そこにあるのに存在しない巨大鉄塔

04004.jpg

郊外に来ると、鉄塔が町の風景の一部となる=日野市

電柱がリレーする電線が街の隅々までエネルギーを送る毛細血管だとすれば、動脈に当たるのは高圧線だ。これを発電所や各地の変電所と繋ぐのが鉄塔である。僕は正直、日本の風景の中の「電柱と電線だらけ」という要素にはネガティブな感情を持っている。一方、鉄塔については、その怪獣的なフォルムに芸術性をも感じるクチだ。

ただ、一般的には鉄塔は自然や街の景観を損なうものだという認識の方が強いだろうし、僕も日本の場合は、いくらなんでも数が多すぎると思う。日本で少し広い風景を写真に撮ろうとすると、必ずと言っていいほど電柱・電線・鉄塔が入ってきて、特に山や建築物の写真の場合は、それらを避けるアングル探しに腐心する。一方で面白いのは、写真を撮ったり絵を書くことと関わりの薄い多くの人は、驚くほど電柱や鉄塔に無関心なことだ。たとえば、業務として依頼されるポートレートの撮影で、「ここで富士山をバックに撮って」と頼まれても、ガッツリ電線と電柱がその富士山に被っていて困惑するようなことが非常に多い。

この件については、世界でも類を見ない鉄塔小説の金字塔『鉄塔武蔵野線』の作者で、鉄塔を誰よりも愛する銀林みのる氏も、的確なたとえで指摘している。

<それにしても、あれほど巨大で明白な建造物に、なぜ誰も注意を払わないのか。(中略)たとえば、向こうに見えている鉄塔近くの工場を指差して、「あの工場、何だろう」と訊いてみる。「どれ?」と友人が訊き返すと、すかさず私は「あれだよ。あの鉄塔の近くに建っている工場だよ」と続ける。友人は「ああ、あれか」と頷いて応じる。してみると、彼にもちゃんと鉄塔が見えていることになる。それなのに、彼は鉄塔を話題にしようともしない。この無関心ぶりは、私たちが鉄塔の真下にいたとしても全く同様なのだ>(ソフトバンク文庫・銀林みのる『鉄塔武蔵野線』=あとがき「鉄塔小説の誕生まで」より)

◆学園都市の興亡

04019.jpg

多摩川の支流・浅川の清流


04030.jpg
JR八王子駅前

浅川を渡り、ついに八王子に入った。昼休憩を挟んで到着した八王子駅周辺は、約100km先の甲府市の中心部までの最後の都会である。駅前は学生や若者でにぎわっていた。僕は、帰国子女教育関連の取材もライフワークにしているのだが、その関係で八王子に来る機会は多い。取材対象の帰国子女受け入れ校でもある私学の中高・大学がとても多いからだ。

八王子市には23の大学・短大・高専があり、学生数は約11万人。人口は約55万人だから、市外からの通学者を含む数字ではあるが、人口の5分の1程度の割合で学生がいることになる。八王子に大学が多いのは、昭和の高度成長期から平成のバブル期に、こぞって土地の高い都心から移転してきたことが大きい。学生に限らず、戦後爆発的に増えた人口が都心から溢れ出てきたイメージを捉えると良いかもしれない。八王子市の人口構成を見ると、一番多いのが人口増の最大要素である団塊の世代、次がその子供たちの団塊ジュニア世代、そして、現役の大学生を含む20代と続く。

第2回で歩いた世田谷と並んで若い街なのは確かだが、やはり少子高齢化の波は例外なく押し寄せている。都心から移ってきた大学が、近年再び都心回帰の動きを見せているのは、その象徴だ。都心から押し寄せ、また引いていく人口の波の、いわば波打ち際近くにあるのがこの街なのだ。そんなことに思いを馳せながら駅前の繁華街を歩いていると、手に持っていたギターを投げ捨てて苦悶する様子を見せるパフォーマーなのか、天然の人なのか、ともかく不思議な人がいた。時代の波に翻弄されるこの街の理不尽さを象徴するようなパフォーマンスとも感じたが、こうした狂気は、表立っては都会でしか見られない。最後の大都会の空気を感じて、中心市街地を抜けた。

04032.jpg

八王子駅前

◆郊外から地方都市、そして山の入口へ

04044.jpg
西八王子付近

04047.jpg

西八王子付近

04057.jpg

多摩御陵近くの旧家の塀

次の西八王子駅あたりを境に、これまでの郊外住宅地の風景に、「失われた30年」で疲弊した地方都市の哀愁が混じっていく。20号に出た後、北側にある昭和天皇が眠る多摩御陵に足を伸ばして昭和の時代に思いを馳せようとも思ったが、次回の峠越えに繋ぐという今日のメインテーマを思い出し、先を急いだ。

今日の目標は、高尾駅を通過し、さらにその先の道路が切れる「東京の最果て」まで行くことである。国道20号をまっすぐ行けば大垂水峠経由で東京を出ることができるのだが、車がビュンビュンと行き交う排気ガスまみれの峠道を、徒歩でゼイゼイ言いながら登って降りるのはいかにも侘しい。それこそ、マスクをつけたくもなる。なので、小仏峠・景信山・陣馬山の登山口まで行き、次回は登山道経由の山越えで東京を出る目論見を立てていたのだ。

JR高尾駅に着くと、世界が一変した。時刻は午後3時前。高尾山方面からのバスから、続々と登山客が下山してきていた。僕が暮らす八ヶ岳エリアの登山客同様、大半が中高年だが、都心から最も近い山の入り口である分、「山ガール」と呼ばれる若い女性の姿も目立っていた。よりベテラン向けの八ヶ岳や信州の山では、はつらつとした雰囲気ながら、「ガール」と呼ぶのは憚られる妙齢の女性が圧倒的に多い。

04062.jpg

午後3時前のJR高尾駅前。高尾山方面のバスから登山客が続々と降りてきた

プロフィール

内村コースケ

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。外交官だった父の転勤で少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験。かねてから希望していたカメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、海外ニュース、帰国子女教育、地方移住、ペット・動物愛護問題などをテーマに執筆・撮影活動をしている。日本写真家協会(JPS)会員

今、あなたにオススメ

キーワード

ニュース速報

ワールド

イスラエル、米のガザ停戦案受け入れ

ビジネス

インドネシア新財務相、8%成長も「不可能ではない」

ビジネス

インドネシアのスリ・ムルヤニ財務相を解任、後任にプ

ワールド

対ロ制裁は効果ない、ウクライナ戦争で方針変えず=ク
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:豪ワーホリ残酷物語
特集:豪ワーホリ残酷物語
2025年9月 9日号(9/ 2発売)

円安の日本から「出稼ぎ」に行く時代──オーストラリアで搾取される若者たちの実態は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「稼げる」はずの豪ワーホリで搾取される日本人..給与は「最低賃金の3分の1」以下、未払いも
  • 4
    「あのホラー映画が現実に...」カヤック中の男性に接…
  • 5
    ロシア航空戦力の脆弱性が浮き彫りに...ウクライナ軍…
  • 6
    コスプレを生んだ日本と海外の文化相互作用
  • 7
    金価格が過去最高を更新、「異例の急騰」招いた要因…
  • 8
    「ディズニー映画そのまま...」まさかの動物の友情を…
  • 9
    眠らないと脳にゴミがたまる...「脳を守る」3つの習…
  • 10
    今なぜ「腹斜筋」なのか?...ブルース・リーのような…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 3
    眠らないと脳にゴミがたまる...「脳を守る」3つの習慣とは?
  • 4
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...…
  • 5
    「あのホラー映画が現実に...」カヤック中の男性に接…
  • 6
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 7
    「生きられない」と生後数日で手放された2本脚のダ…
  • 8
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害…
  • 9
    「稼げる」はずの豪ワーホリで搾取される日本人..給…
  • 10
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 6
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 7
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 8
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 9
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 10
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story