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北極圏

「潜水艦が消える海」――温暖化が変える北極圏、ロシアと欧米の静かな攻防【note限定公開記事】

THE NEW HUNT FOR RED OCTOBER

2025年8月26日(火)20時10分
エリー・クック(安全保障・防衛担当)
北極海を航行する調査船と浮かぶ氷山を上空から捉えた様子

CLÉMENT GARGOULLAUD―KRAKEN FILMS

<北極圏の環境変化が、世界のパワーバランスを揺るがしている。氷が解け、潜水艦が「見えなくなる」海で、ロシアと欧米が静かに火花を散らす>


▼目次
1.温暖化が潜水艦探知に及ぼす影響
2.北極は「実験場」であり「前線」でもある
3.「ロシアの庭」と化す北極
4.アメリカ頼みの北極防衛、同盟国の限界

1.温暖化が潜水艦探知に及ぼす影響

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音声記録からデータを収集する専門家 CLÉMENT GARGOULLAUD―KRAKEN FILMS

北極圏の奥深く、NATOの保有する唯一の調査船アライアンス号の船内ではコンピューターに表示される緑色の折れ線が激しく動いていた。

むろん、素人目には意味不明。だがアライアンス号に乗り込むNATOの科学調査隊は、画面に表示されるデータから北極海の環境の急激な変化を読み取っている。

安全保障上の脅威は深刻だ。このままだと、水面下で活動する敵の潜水艦(とりわけ長期にわたる潜水航行が可能な原子力潜水艦)の探知が困難になる。

理由の1つは気候変動の影響だ。地球温暖化に伴って海氷と永久凍土の融解が進み、北極海に大量の淡水が入り込んで塩分の濃度が下がっている。さらに南側の大西洋からは温かい海水が流れ込む。

「以前なら、北極海は氷の砂漠みたいなものと考えていればよかった。今は違う。特に夏は、ほとんど普通の海域と変わらない時期もある」。

英ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校のクラウス・ドッズ教授(地政学)はアライアンス号の船上で筆者にそう語った。

海水の温度や塩分濃度が変化すると、海中での音の伝わり方に相当な影響が及ぶ。そして音波の伝わり方を正しく理解できなければ、潜水艦は探知できない。

「潜水艦の探知、追跡、識別のための技術は開発できても」と、調査隊の科学責任者ゴルチェ・レアルは言う。「その技術を使う環境を正確に知らなければ役に立たない」

北極圏は大部分が凍り付いた北極海と、ノルウェーとロシア北西部にあるバレンツ海や大西洋の最北端部など、船舶の航行可能な海域で構成される。

北極圏に領土を持つ8カ国はこれらの海域を戦略上重視しているが、もっと南の国々も関心を高めている。

北極圏8カ国のうち、ロシアは北極圏の海岸線のほぼ半分を持つ。

その他7カ国、カナダとアメリカ、ノルウェー、デンマーク、アイスランド、フィンランド、スウェーデンはいずれもNATO加盟国だ。

NATOは北極海の監視を強める一方、北極圏より南の航行可能な海域におけるロシアの、そして最近では中国の活動にも目を光らせている。

だからこそアライアンス号は7月初旬に、ノルウェー北部の都市トロムソからスバールバル諸島へと北上してグリーンランド海を目指した。

複数のブイ(浮体観測装置)を配置する最適な場所を探るため、何カ月もかけて北極の氷の分布を分析し、衛星やカメラ搭載のドローン、さらに実験的なレーダーも投入してデータを収集。

これらのブイには水中音響を記録する装置ハイドロフォンが搭載され、アライアンス号からの音響信号を捕捉する。

氷に反響したそうしたデータを読み解いて、どの信号が戦略的監視の対象かを判別するのだ。

2.北極は「実験場」であり「前線」でもある

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ポーランド・グディニャ港に停泊中のNATOの調査船「アライアンス号」 CLÉMENT GARGOULLAUD―KRAKEN FILMS

アライアンス号から送り出された小型船は数キロ離れたところにブイを投下する。ブイは数時間から数日間漂流した後に回収される。それまではハイドロフォンとデータを無事に回収できるよう祈るばかりだ。

しかもアライアンス号からの信号は意図的に低出力にしてある。それは野生生物を保護するためでもあるが、レアルによると、今の潜水艦はステルス性能が高いからだ。

「この調査計画は科学的にも防衛上も極めて重要だ」とレアルは言う。

「全てが急速に変化しつつあるという意味で、北極海は科学のために重要な実験場だが、戦略的な重要性が著しく高い場所でもある」

かつてアメリカとソ連という両超大国が対峙した冷戦時代にも、海氷の研究には「多大な関心」が寄せられていたそうだ。

ドッズによれば、海氷のせいで潜水艦の姿が捉えにくくなる可能性も指摘されていた。海水の塩分濃度が音響に与える影響も当時から注目されていたという。

事情は今も変わらない。目的はロシアの潜水艦を追跡することにあるが、訓練では加盟国の潜水艦を使ったり、深海に潜む艦艇を上空から検知する特殊な飛行機を飛ばすなど、いろいろな工夫をしている。海底にケーブルを敷設し、付近の通過物を検知するセンサーも設置している。

そこには共通項がある。「やること全てが音響的な性格を持つ」とグレン・バンハーク退役米空軍大将は本誌に語った。

バンハークは最近まで米国北方軍と(アメリカ、カナダ合同の)北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の司令官を務めていた。北極圏はNORADの管轄だ。

英王立統合軍事研究所(RUSI)の上級研究員シッダールト・カウシャルによると、NATO加盟諸国は磁気探知機や赤外線センサー、レーダーなども動員して監視を行っているが、「潜水艦を見つける目的に限れば、現状では音響センサーが何よりも効果的な手段」とされる。

「ロシアの潜水艦の位置を知ることはNATO諸国にとって極めて重要だ」と言うのは、ノルウェー軍と密接な関係にあるノルウェー国防研究所のカタルジーナ・ジスク教授(国際関係、現代史)だ。

ソ連も昔からNATOの監視を逃れようとしてきた。今のロシアにとっても、潜水艦をNATOの目から隠すことはおなじみのゲームであり、そのやり方は熟知している。

「われわれとしては、常にロシアの潜水艦を追跡し、監視下に置いていると言いたいところだ」。

ノルウェー軍統合司令部の副司令ゲルト・ラーゲ・ディンダル少将は、トロムソの南西に位置するボードー市で筆者にそう語った。「だが、あいにく現実はそうなっていない」

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【note限定公開記事】「潜水艦が消える海」――温暖化が変える北極圏、ロシアと欧米の静かな攻防


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