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イスラエル政治

パレスチナ戦争を推進する強権ネタニヤフだが、実は崖っぷち...彼が直面する「ジレンマ」とは

Bibi’s Blame Game

2025年8月26日(火)15時10分
ラン・ポラット(豪モナシュ大学ユダヤ文明センター客員研究員)
ネタニヤフ

前例のない危機に直面しながらも、ネタニヤフは来年後半の総選挙を見据えて動いている RONEN ZVULUNーPOOLーREUTERS

<ネタニヤフは2026年の総選挙を見据えてすでに動き始めているが、その前途は決して明るくないようだ>

首相在任期間は、イスラエル史上最長の通算17年。ベンヤミン・ネタニヤフは、その政治手腕とタフなサバイバル能力で知られてきた。しかし一方で、道徳観や政治的レガシーには疑問符が付き、常に物議を醸している。

2022年12月に発足した現在の政権は、連立に極右の急進派勢力が加わったことと、翌23年10月7日にイスラム組織ハマスによる襲撃という大惨事が起きたことで、とりわけ多くの困難を抱えている。


それでもネタニヤフは、自らに迫る国内の脅威をほぼ全て封じ込めてきた。時には政敵や連立相手を巧みに操り、政権を転覆させかねない動きを回避した。自らが率いる与党リクード内の人事を刷新したり、かつての宿敵と手を組むといった手段で難局を切り抜けてきた。

しかし、ネタニヤフに対しては国民の批判が高まっている。ハマスに連れ去られた人質の解放を求めて、数十万人の国民が抗議デモを展開。パレスチナ自治区ガザの中心都市ガザ市の制圧計画に反対した国防軍のエイアル・ザミール参謀総長とは、真正面から衝突した。それでもネタニヤフは雑音を全面的に無視。異論を唱える者に対しては、側近らを使って攻撃させている。

これらの動きの目的はただ1つ。政界で長年生き延びてきた彼が、26年後半に予定される総選挙を勝ち抜くことだ。


「強いリーダー」を演出

過去2年半余り、イスラエルは社会が大きく分断するという前例のない危機に直面してきた。23年1月にはネタニヤフの主導により、国会が最高裁の判断を覆せるようにする司法制度改革案を導入。最高裁や司法長官の反発を招いたほか、大勢の国民が抗議デモに繰り出した。

そして23年10月7日、ハマスによる襲撃が起きた。この日から社会、経済、人道の各方面に長期にわたり深刻な影響をもたらす紛争が始まった。

多方面で問題が発生しているものの、ネタニヤフはこうした危機に際して最も力を発揮する。対立する勢力同士を競わせて巧みに操るのは、彼の得意技だ。


連立政権の要は、イタマル・ベングビール国家治安担当相やベツァレル・スモトリッチ財務相など極右政党出身の政治家だ。人質解放のための取引を支持する大勢の国民や戦争終結を求める国際社会の圧力があるにもかかわらず、ネタニヤフは連立の安定確保を最優先にすることを選択。ベングビールやスモトリッチの要求に応じる形でハマスとの停戦合意を拒否する方針を受け入れ、ハマスに対する軍事行動を強化して「完全勝利」を目指している。

さらにネタニヤフは、ベングビールやスモトリッチによるパレスチナでのユダヤ人コミュニティー再建の議論を黙認。イスラエルの入植地を段階的に拡大して、地理的にパレスチナ国家の樹立を阻む動きを容認してきた。

「イスラエルに外交政策は存在しない。あるのは国内政治だけだ」という故ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官の言葉を証明するかのように、ネタニヤフはパレスチナ国家を承認するか、その準備を進めている西側諸国を激しく非難している。フランスのエマニュエル・マクロン大統領やオーストラリアのアンソニー・アルバニージー首相への攻撃は外交面の効果より、むしろ「強い指導者」というイメージの強化を狙った動きだ。


世論調査では敗色濃厚

イスラエル政府にとって国内最大の問題は、超正統派ユダヤ教徒の男性の徴兵をめぐるものだ。

超正統派の男性は長年にわたって徴兵を免除されてきたが、昨年6月に最高裁が徴兵を命じる判断を下した。このため連立パートナーである超正統派政党が政府に対し、超正統派の兵役免除を定める法案を可決させるよう要求。さもなければ連立を離脱すると言い出した。

これを受けてネタニヤフは、かつての政敵ギデオン・サールを野党から政権に引き入れ、国会での議席数を補強。超正統派政党に対しては守るつもりのない約束を掲げて10月の国会再開まで待つように説得し、徴兵回避者に厳しい制裁を科す法案を模索していた国会の外務・防衛委員会の委員長を、自らにより従順な人物と交代させた。

ネタニヤフの目は、次の総選挙に向けられている。選挙は公式には26年後半に予定されているが、彼としてはハマスによる襲撃の3周年より前に実施されたほうが、票稼ぎには都合がいい。

この2年間、世論調査では一貫してネタニヤフの敗北が予想されてきた。そのため彼は、自身のイメージ刷新に取り組んでいる。国民には、10月7日の惨事を招いた自身の責任や戦争の進め方をめぐる疑問を忘れてほしいと願っている。贈賄および背任の容疑で現在進行中の裁判からも、引き続き国民の注目をそらしたい考えだ。

しかしネタニヤフは、戦争をめぐって大きなジレンマに直面している。ハマスとの停戦合意に署名して人質解放を確実にすれば、多くの国民の支持を得られるだろう。だがそれを決断すれば、ガザの完全制圧を主張する極右勢力の離脱を招いて連立政権が崩壊する恐れがある。一方でガザの軍事作戦を推し進めれば、残る人質がハマスに殺害されるか、イスラエル軍による攻撃の巻き添えとなって命を落とす可能性が高い。

攻撃の備えを強化しつつ交渉を継続し、より有利な合意を目指すという「第3の道」もある。ネタニヤフがどの道を選ぶのか、それはどのような政治的な未来につながるのか。私たちはそれらを間もなく知ることになる。

The Conversation

Ran Porat, Affiliate Researcher, The Australian Centre for Jewish Civilisation, Monash University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


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