最新記事
中東

なぜガザの停戦案はまとまらないのか?「イスラエルは軍事力だけではハマスに勝てない...」

Locked in a Stalemate

2024年6月18日(火)17時55分
ジョン・ストローソン(イースト・ロンドン大学法学部名誉教授)
ハマスがイスラエルの3段階停戦案を受け入れない理由「軍事力だけではハマスに勝てない...」

ブリンケン米国務長官(中央)は合意をまとめようと必死だ(6月12日、ドーハ) IBRAHEEM AL OMARIーPOOLーREUTERS

<3万7000人のパレスチナ人が命を落としても、ハマスが停戦案をひっくり返す背景には、内部の戦争継続派と和平派の争いがある>

なぜ「イエス」と言えないのか──。アントニー・ブリンケン米国務長官は6月12日、パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスに対して不満をにじませた。

昨年10月7日にハマスがイスラエルを襲撃したことをきっかけに始まったガザ戦争で、ようやく停戦案がまとまりかけてきたのに、ハマスが回答を遅らせ、さらに大がかりな変更を求めてきたというのだ。ブリンケンの発言は、カタールのムハンマド首相兼外相の楽観論とは対照的だった。

ハマスが今回、停戦案に変更を求めてきたのは、指導部内における意見の対立のせいかもしれない。

米ウォール・ストリート・ジャーナル紙(WSJ)は6月10日、ガザ地区指導者のヤヒヤ・シンワールから、カタール在住の政治部門指導者のイスマイル・ハニヤに宛てたメッセージを公開する形で、戦争の継続と政治戦略全般について、2人の間に根本的な意見の対立があることを報じた

一方、ベンヤミン・ネタニヤフ首相率いるイスラエルの戦時内閣でも、中道のベニー・ガンツ前国防相が政権を離脱するなど足並みの乱れが見られる。ただ、イスラエル軍が8日、ガザに拘束されていた人質4人の救出に成功したことで、ガンツの離脱はさほど目立たなくなった。

ガザ保健省によると、この救出作戦はパレスチナ側の死者210~274人、負傷者698人を出す惨事を引き起こした。だが、ここ数カ月は支持率が低下する一方だったネタニヤフにとっては、国民に誇れる貴重な軍事的成果となった。

ネタニヤフもヨアブ・ガラント国防相も、今回の救出作戦を1976年のエンテベ空港奇襲作戦になぞらえて、その意義を強調する。

これは多数のイスラエル人を乗せ、パレスチナ解放組織によってハイジャックされた民間機がウガンダのエンテベ空港でイスラエル軍の突入を受け、多くの人質が解放された事件だ(このとき将校だったネタニヤフの兄ヨナタンが命を落としている)。

今回の人質救出作戦の成功で、ネタニヤフはこれまでになく自信を深めている。中道のガンツの離脱で政権の右傾化が懸念されたが、人質救出によりネタニヤフは極右の連立相手に対して立場が強くなり、停戦交渉にも新たな追い風を感じているようだ。

イスラエルの民放チャンネル12の報道によると、イスラエル側が示した停戦案は3段階からなる。第1段階で戦闘行為は即時停止され、イスラエル軍はガザの人口密集地域から撤退する。ガザの避難民も帰還を開始する。

ガザ戦争は「良い戦争」

第2段階では、生存しているイスラエルの人質が全員解放される。ただし、死亡者については第3段階で遺体が返還される。それと引き換えに、イスラエルの刑務所に収監されている多数のパレスチナ人が釈放される。第3段階では、ガザの復興も始まる。

ところが、ハマスが新たに示した対案は、3段階の枠組みそのものを変えようとしている。さらに、停戦合意後すぐに、人口密集地だけでなくガザ全土からイスラエル軍が撤退することを要求する。

イスラエル人の人質解放についても、生存者を優先することはなく、生死にかかわらず人質1人につき数十人のパレスチナ人収監者の釈放を要求する。これらの対案について、ハマスはロシアや中国、トルコなど数カ国の支持を確保して、イスラエルに圧力をかけたい考えのようだ。

ハマスが新たな要求を突き付けたのは、現在の指導部では、政治的な駆け引きにたけたハニヤよりも、戦争を仕切るシンワールの立場が上であることを示唆している。

WSJの報道によれば、パレスチナの立場を世界にアピールできたという意味で、この戦争は「良い戦争」だと、シンワールは考えている。

そのために3万7000人のパレスチナ人が命を落としたのも「必要な犠牲」だったとし、少なくともあと数カ月は戦争を続けるだけの武器と人員があると主張している。

これに対してハニヤは、戦後のことを考えている。武装組織ではなく政治組織としてのハマスの機能を維持し、ロシアと中国の後ろ盾を得ながら、パレスチナ国家樹立に向けて結束を図りたいようだ。

だが、シンワールはあくまで戦争を続けたがっている。彼は、ネタニヤフがハマスの新停戦案をのむことは困難だと知っており、それを口実に(つまり停戦合意がまとまらないのはイスラエルのせいだと主張して)戦争を継続できると考えている。

ネタニヤフに戦後のガザの現実的な統治計画がないことは、かねてからそれを求めていたガンツの抗議の政権離脱で改めて浮き彫りになった。元軍人のガンツは、軍事力だけではハマスに勝てないことを知っている。

「戦後はパレスチナ自治政府がガザを統治する」と定めていなければ、どんな停戦合意もハマスに好都合になる。

ネタニヤフの優柔不断はよく知られている。米政府の圧力にもかかわらず、当初の停戦案の実施を遅らせているうちに北部ではレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラとの衝突がエスカレートし、イスラエルは事実上2つの戦線を抱えることになった。

ハマスが昨年10月にイスラエルを襲撃したのは、ハニヤではなくシンワールのアイデアだった。そしてシンワールは明らかに戦争を続けたがっている。ネタニヤフが4人の人質救出に酔っていられる時間はさほどないはずだ。

The Conversation

John Strawson,Emeritus Professor of Law,University of East London

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


ニューズウィーク日本版 トランプvsイラン
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年7月8日号(7月1日発売)は「トランプvsイラン」特集。「平和主義者」の大統領がなぜ? イラン核施設への攻撃で中東と世界はこう変わる

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

実質消費支出5月は前年比+4.7%、2カ月ぶり増 

ビジネス

ドイツ、成長軌道への復帰が最優先課題=クリングバイ

ワールド

米農場の移民労働者、トランプ氏が滞在容認

ビジネス

中国、太陽光発電業界の低価格競争を抑制へ 旧式生産
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギに挑んだヘビの末路
  • 2
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 3
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 4
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 5
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 6
    ワニに襲われた直後の「現場映像」に緊張走る...捜索…
  • 7
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    吉野家がぶちあげた「ラーメンで世界一」は茨の道だ…
  • 10
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 3
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 4
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 5
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 6
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギ…
  • 7
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 8
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 9
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 10
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 7
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 8
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 9
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 10
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中