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かくも空虚な「上級国民」批判の正体

THE FAVORITISM QUESTION

2020年4月18日(土)16時30分
澤田知洋(本誌記者)

だが元検事で権力に対しても歯に衣着せぬ物言いで知られる郷原信郎弁護士は、刑事部長が逮捕の中止に関与したことに関しては、「断定はできないが、政治的な配慮が働いて現場を抑え込んだのではないか」と推し量る。「(飯塚、石川の)2つの交通事故と比較すると、逮捕しなかったことに違和感を覚える」。政治がらみの事件は慎重にやるべきとの判断の下、警察上層部が「忖度」した可能性などが考えられるという。

検察官の不起訴処分の当否を審査する検察審査会で不起訴相当と判断されたことについても、一般市民から選ばれる審査員は検察の用意した証拠で判断するしかない点に留意しておく必要がある。「できるだけ(検察に有利な)消極証拠をたくさん集めて、起訴されない方向に審査会を誘導することはいくらでもできる」と、郷原は断言する。

「上級」不在の「中級」現象

「上級国民」に対する疑念の一端はメディアの報道の仕方にもある、と郷原は言う。「とにかくマスコミはネタをもらうために検察との関係を悪くしたくない」。実際、石川の事故に関する報道の量は少ない。加害者が元検事であることを理由に上司から石川への取材を止められている、とある日本メディアの記者が被害者である佐藤に語ったという。この言葉も、佐藤の中の疑念を増幅させた。

「上級国民」とされる加害者や被告が刑事司法制度を不公正な形で擦り抜けたと断言できる事実はない。にもかかわらずネット上では「上級国民」が現に存在していることはほとんど前提として語られ、その「事実」をもとに激しい炎上が起きている。一体どのような人たちが、「上級国民」とひとくくりにしてバッシングに精を出しているのか。

計量経済学の手法を用いたネットの炎上研究で知られる国際大学グローバル・コミュニケーション・センター講師の山口真一は、ネットの性質が「上級国民」現象の広がりに寄与したとみる。

山口は「炎上」を、「ある人物や企業が発信した内容や行った行為について、ソーシャルメディアに批判的なコメントが殺到する現象」と定義する。池袋の事故に端を発した炎上もこの定義に当てはまる。そして、これまでの炎上事例の研究から、炎上に参加する人の属性は事例ごとにほとんど違いがないことが分かっている。つまり過去の炎上事例をひもとけば、池袋の事故について「上級国民」を糾弾していた人々の正体がおぼろげながら見えてくる。

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本誌「上級国民論」特集21ページより

山口が2016年に4万人を対象に行ったアンケート調査では、炎上参加者の世帯年収の平均は670万円で、参加者のうち「主任・係長クラス以上」が31%と最多を占めた。日本の世帯所得年収の中央値が423万円(2018年厚生労働省調査)であることを考えれば、社会的にある程度恵まれている「アッパーミドル」以上とも言える人々を中心に「上級国民」をたたいている構図が浮かび上がる。

ただ、注意すべきはこれも過去のネット研究で判明しているように、炎上参加者は多く見積もってもネット利用者の総数の1%程度にすぎないことだ。わずか数人が炎上をつくり出していた事例もあるという。

ごく少数が関与する炎上がネット全体に広まる過程には3段階あると山口は指摘する。第1に批判的なコメントがソーシャルメディアに書き込まれ、次にネットメディアやまとめサイトがそれを取り上げ、さらにマスメディア、特にテレビがその話題を拡散させるというメカニズムだ。

こうして拡散した炎上について知っている人はネット利用者全体の92%程度に上る、ということも山口らの研究が明らかにしている。日本のネット利用者は1億人以上に達しているが、なかでも中流層以上のネット利用率の高さは顕著で、世帯年収400万円以上の世帯の利用率は9割に近い。逆に200万円未満の世帯の利用率は半数程度だ。このことから、特に社会の中間層以上の人々は、直接炎上には参加していなくとも「上級国民」という単語は認知している、と考えるのが自然だろう。

【参考記事】「上級国民」現象を生み出したのは誰だ? ネット炎上研究から人物像をあぶりだす

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