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目黒女児虐待死事件で逮捕された母親が手記に書いていたこと

2020年2月25日(火)21時40分
印南敦史(作家、書評家)


 2018年6月6日、私は娘を死なせたということで逮捕された。いや「死なせた」のではなく「殺した」と言われても当然の結果で、「逮捕された」のではなく「逮捕していただいた」と言った方が正確なのかもしれない。(10ページより)


 私の中の時計が激しく狂う。さっきまで私の体がこれが1秒だよと認識していたものを、それが1分だと強制されるような感覚だ。抵抗は許されない。
〈ゆっくりでも光の穴には着実に近づけている。だから大丈夫だ〉
 だが、近づけば近づくほどなにやら様子がおかしい。光の穴の下に数十本の足が見えた。人間の足と脚立の足だ。心から「ゔっ」という声が漏れそうになるのをこらえるのとほぼ同時に、体がふわっと軽くなった。(10〜11ページより)

こうした情景描写や心理表現を確認すれば、優里被告が単なる"バカ"ではないことが分かるだろう。だからといって、もちろん擁護するつもりはない。が、少なくとも、ここで明かされている彼女の生の声を聞く姿勢は持ってもいいのではないか。

しかも無表情だったり反応が薄かったりすると、それは"虐待の連鎖"という観点から語られがちだ。ところが彼女は、決して不幸な環境で育ったわけではなかった。それどころか両親から愛情をたっぷり受け、それを感じながらまっすぐに育ってきた。つまり、過去の体験が彼女を事件に向かわせたわけでもなさそうだ。

端的に言えば、ただ感情表現がうまくないだけ。


「結愛ちゃんのことを愛してなかったんじゃないのか」という問いに悔しい気持ちが込み上げた。そのとき私の中の時計が狂い始めた。針が進むスピードが遅くなったり、止まったり、逆戻りしたり。「愛していた」と言いたいのに、声が出ない。私なんかが、愛していたと声に出して言ってはいけないということなのか。

 悲しい、辛い気持ちは涙が出ないと証明されませんか?
 悲しい時は涙を流さないといけませんか?
 涙が出ないと悲しみは伝わりませんか?
 表情や口調、態度、本当にそれがその人のすべてで、想像や経験だけで決めつけてもいいのでしょうか?
(中略)
 私もよく使う言葉、「普通」「みんな」。でも、普通の正体とはなんだろう?
 まわりの人に自分の考えを言うと、どこかずれているみたいだ。私の発言や行動にびっくりする人もたくさんいた。今時は幼稚園の子でも知っていることかもしれないが、私は26歳にして初めて知った。まったく同じ人間はこの世にはいないということ。だからなんでも普通の型に押し込むことは間違っているということを。普通は、という言葉が多くの人を生き辛くさせている。(101〜102ページより)

では、事件の原因は何か? 言うまでもなく、夫である船戸雄大被告(懲役13年で確定)による"洗脳"だ。人間性を徹底的に否定され、両親のことすらバカにされ、ことあるごとに終わりのない説教を何時間も受け続ける日常の中で、次第に平常心を失っていったのだった。

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