最新記事

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く

勉強したい少年──ギリシャの難民キャンプにて

2016年11月25日(金)16時30分
いとうせいこう

やっとレスボス島へ、そして......

 その夜、国内線でレスボス島へ移った。

 古代ギリシャの女性詩人サッフォーの生まれた島。かつてはサッフォーが女子専門の学舎を作ったためにレズビアンという言葉の発祥地として名をはせていたが、今は島民の抗議によってすっかり観光の島として有名だ。

 空港を出てタクシーをひろうと、行き先まで2時間かかると聞いて俺たちは驚いた。どうやら予約した場所が違っているらしかった。

 ひたすらに海岸道路を走り出す車から、海に映る月光が見え、そのすぐ向こうにアジア大陸、つまりトルコの海岸の灯が見えた。あまりにそれは近かった。佐渡島から新潟を見るようなものではないか。

 黒い空には雲が流れ、ほぼ満ちた状態の月があった。

 こちらがMSFと聞いてドライバーは、

 「海を渡ればすぐに難民になれるよ」

 と冗談を言ったが、しばらく走ったあとガソリンスタンドでいったん車を止め、俺たちのために水のボトルを買うと、照れ臭そうにそれを後部座席に差し出してきた。

 車はえんえんと走って夜の小さな町を突っ切り、盆地のような場所を通り、ついにはドラクエに出てきそうな小山の上の城へと近づいた。城は下からライトで照らされていて、魔術的な雰囲気が十分だった。俺は自分が死んでいるのではないか、とさえ思った。石積みの城が浮いているように見えたからだ。

 2時間以上をかけて着いたリゾートホテルでフロントに出てきたのは一人の女性と、さらにもう一人、たぶん20才ほどの年齢の、すなわちアフシン君とさして変わらない青年で、色が白く、少し首を揺らしながら下を向いて微笑する癖があった。

 彼もタクシードライバー同様に親切だったが、俺が日本から来たと聞いてすぐにすべてを理解したというように人さし指を立ててこう言った。

 「君たちの国は矛から垂れた水によって出来たんだよね?」

 俺は一瞬何を言われているのかわからなかった。


 「そう、確か最も古代の神はジンム」

 青年は神武天皇のことを言っているのだった。矛から垂れた水とは日本の創世神話のことだった。なぜギリシャの青年がそんなことを知っているのだろうか。あの城のそばだけに、余計に奇妙なところへ迷い込んだ気がした。

 彼の名前はそのあとで告げられた。

 「僕はニコラス、我々の神話の中では屈強な神の名前だ」

 そして俺はもうひとつ、不思議な事実に驚く。

 間違えて長時間かけて着いたホテルの裏の港こそ、初期の救援活動で文字通り流れてきた大勢の難民を大型船で救助し、難民を下ろした場所だと知ったからだ。

 まるで誰かに呼ばれているように、俺たちはそのリゾートホテルに引き寄せられ、そして翌日、とうてい難民のボートでは近づけないような大洋を見下ろして彼らの苦難を実感するのだった。


(つづく)

profile-itou.jpegいとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

トランプ政権、予算教書を公表 国防以外で1630億

ビジネス

NY外為市場=ドル下落、堅調な雇用統計受け下げ幅縮

ワールド

トランプ氏誕生日に軍事パレード、6月14日 陸軍2

ワールド

トランプ氏、ハーバード大の免税資格剥奪を再表明 民
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得る? JAXA宇宙研・藤本正樹所長にとことん聞いてみた
  • 2
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 3
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単に作れる...カギを握る「2時間」の使い方
  • 4
    インドとパキスタンの戦力比と核使用の危険度
  • 5
    目を「飛ばす特技」でギネス世界記録に...ウルグアイ…
  • 6
    宇宙からしか見えない日食、NASAの観測衛星が撮影に…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    金を爆買いする中国のアメリカ離れ
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 8
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 9
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中