最新記事

歴史認識

メルケル首相の東京講演

2015年6月18日(木)15時30分
細谷雄一(慶應義塾大学法学部教授)※アステイオン82より転載

 というのも、中国政府はこれまで、南シナ海の領土問題はあくまでも中国と相手国との間の二国間で解決するべき問題だと主張してきた。そして、アメリカや欧州連合(EU)のような「第三者」がそこに介入することを、厳しく批判してきた。ASEAN諸国と中国との間で二〇〇二年に締結した「南シナ海における関係国の行動宣言(DOC)」に関して、この問題がASEAN地域フォーラム(ARF)で議題とされることに、これまでたびたび抵抗してきた。それにも拘わらず、メルケル首相は中国がそのような合意を尊重することを求めているのである。そのような立場は、日本政府がこれまで繰り返し主張してきたことであった。だからこそ、メルケル首相は、日本とドイツが「国際法の力を守るということに関しては共通の関心があります」と述べ、両国が「グローバルな責任を担うパートナー国家」と論じたのであろう。ウクライナにおける力による現状変更のみならず、南シナ海でのそのような海上通商路をめぐる現状変更的な行動をも批判するメルケル首相の発言は、当然ながら中国政府にとってはきわめて不愉快なものであろう。中国は最近、主権を争う南シナ海の島嶼において、これまでのDOCにおけるASEANとの合意を反故にして、一方的に滑走路を建設している。南シナ海を、自らの管理下に置こうとしているのだ。メルケル首相の発言は、そのような中国の行動を牽制するものであった。

 アンゲラ・メルケルは一九五四年に、西ドイツのハンブルクで牧師の父と英語教師の母との間に生まれている。その後、牧師である父は、共産主義国の東ドイツで牧師の数が足りないことも理由となって、「鉄のカーテン」の向こう側の東ドイツに家族とともに移住した。父は東ドイツで教育を受ける娘のアンゲラが、マルクス主義のイデオロギーが濃厚な歴史学や政治学のような文系の学問ではなく、合理的精神を失わないためにも理系の学問を専攻することを推奨したという。その後、科学者としてメルケルは成長し、理論物理学の分野で博士号を取得している。研究者の道を進んでいたメルケルは、統一へ向けて政治が動き始めるなかで次第に政治に関心を示すようになった。メルケルにとって、自由とは尊いイデオロギーであり、また共産主義や専制主義による統制的な社会は嫌悪すべき対象であった。メルケルにとっては、自由や国際法を守るという精神は、自らの東ドイツにおける厳しい生活経験からも譲歩できない尊い価値なのだ。

 メルケル首相の講演会に話を戻そう。三〇分ほどの講演が終わると質疑応答がはじまった。朝日新聞社の西村陽一取締役が登壇し、司会進行役となった。冒頭で西村取締役は、「まず最初に主催者を代表いたしまして、私から一問だけ質問をさせて頂きます」と述べた。そして次のように、歴史認識問題に関する質問を行った。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

再送-米政府、海上停滞中のイラン産原油売却を容認 

ワールド

米国防総省、パランティアのAIを指揮統制システムに

ビジネス

米ユナイテッド航空 、秋まで運航便5%削減 中東情

ワールド

米、イラン戦争の目標達成に近づく=トランプ氏
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:イラン革命防衛隊
特集:イラン革命防衛隊
2026年3月24日号(3/17発売)

イスラム神権国家を裏からコントロールする謎の軍隊の歴史と知られざる実力

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    メーガン妃、娘リリベット王女との「お手伝い姿」公開...母としての素顔に反響
  • 2
    「マツダ・日産・スバル」が大ピンチ?...オーストラリアの「NVES規制」をトヨタが切り抜けられた理由
  • 3
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え時の装いが話題――「ファッション外交」に注目
  • 4
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する…
  • 5
    韓国製ミサイル天弓-II、イラン戦争で96%迎撃の衝撃 …
  • 6
    第6回大会を終えて曲がり角に来たWBC
  • 7
    「嘘でしょ!」空港で「まさかの持ち物」を武器と勘…
  • 8
    将来のアルツハイマー病を予言する「4種の先行疾患」…
  • 9
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...…
  • 10
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期スペイン女王は空軍で訓練中、問われる「軍を知る君主」
  • 3
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が発生し既に死者も、感染源は「ナイトクラブ」
  • 4
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 5
    第6回大会を終えて曲がり角に来たWBC
  • 6
    メーガン妃、娘リリベット王女との「お手伝い姿」公…
  • 7
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 8
    【衛星画像】イラン情勢緊迫、米強襲揚陸艦「トリポ…
  • 9
    ズボンを穿き忘れてる! 米セレブ、下を穿かず「目の…
  • 10
    韓国製ミサイル天弓-II、イラン戦争で96%迎撃の衝撃 …
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...撮影はパパ
  • 4
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 5
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 6
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 7
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 8
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 9
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 10
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中