最新記事

ドイツ

メルケル「多文化主義は失敗」発言の真意

反イスラム感情に迎合した発言と批判されたが、現実を認めることはトルコ系住民の孤立を正す第一歩だ

2010年10月28日(木)14時57分
アンドルー・ナゴースキー(元ベルリン支局長)

 ドイツの多文化主義は「完全に失敗した」──アンゲラ・メルケル首相のこの発言を受けて、評論家たちは一斉にメルケルを攻撃した。この言葉は移民に反対する右派の有権者に迎合するもので、メルケルは反イスラム感情の高まりを受けて右傾化したとの非難を浴びせたのだ。

 だがメルケルの今回の発言は、ドイツをはじめとする欧米諸国が耳を傾けるべき斬新で現実的なメッセージとも読める。

 メルケルが指摘したとおり、ドイツ人は昔から「外国人」と正面から向き合うことを拒んできた。ドイツは60年代から、ヨーロッパ南部やトルコからの出稼ぎ労働者の受け入れを始めたが、彼らは定住して子孫を儲けても市民とは認められず、暫定的な住民の扱いを受けた。

 ヘルムート・コール首相は98年に退任するまで、ドイツにおける移民の役割は大きくないと言い続けた。「外国人」が既に人口の9%近くにまで膨れ上がっていたにもかかわらずだ。

 移民から目を背けてきたドイツは、出稼ぎ労働者ら移民たちの社会への統合を阻むルールを作ってきた。彼らをよそ者扱いすべく、厳しい市民権取得条件が設けられた。一方で「血統主義」を重んじ、祖先にドイツ人がいるロシア人などは簡単に市民権を取得することができた。

 コールが退任してゲアハルト・シュレーダーが首相になった後、市民権の取得条件は緩和されていった。だがそれでも問題の解決には程遠い。ドイツ最大の少数民族グループであるトルコ系住民の一部が政治や芸術、ビジネスの世界で成功してはいるが、単一文化的なドイツ社会で孤立しているトルコ系住民も大勢いる。

 彼らの多くは、市民権の取得や社会参加にほとんど関心を示さない。自分たちに対する偏見が今も残っていると感じているからだ。

活力ある労働力が欠かせない

 ドイツ人と少数民族が互いに反感を抱きがちな背景にはこうした事情がある。この意味で、民族別のコミュニティーの共存共栄を目指す多文化主義は確かに失敗だった。

 メルケルの出した結論には真剣に耳を傾ける価値がある。メルケルは移民の役割について「私たちは自分たちをだましてきた」と発言した。だとすれば、移民を取り巻く状況の改善に向けた率直な議論をこれから始める必要がある。

 移民が社会に溶け込み、社会が彼らを受け入れる状況を生み出すために、ドイツはもっと努力しなければならない──これがメルケルのメッセージだ。

 メルケルは、ドイツ語が下手な人を門前払いするようなことはすべきではないとも指摘した。高齢化が進むドイツには活力に満ちた労働力が必要だ。

 だがメルケルの足元でさえ意見は割れている。トマス・デメジエール内相は、有能な労働者の受け入れのためだからといって規制を緩和するわけにはいかないと主張している。

 メルケルは移民たちに向けては、チャンスを逃すべきではないと呼び掛けた。まずはドイツ語を学び、文化的な孤立状態から脱け出してドイツ社会に溶け込むべきだ。ルーツを否定せよというのではない。自分はドイツ社会の完全な一員なのだと自覚せよ、ということだ。門戸が広く開放されているのなら、そこから中に入っていく努力をするべきだ......。

 これはアメリカが移民に向けて発したメッセージと同じだ。私の両親はポーランド系の移民としてアメリカで暮らしていた。彼らは決してポーランドのルーツを忘れたことはなく、子供たちにも家ではポーランド語を話すよう求めた。だが私たちはアメリカ人になることを期待され、実際にそうなった。そこに矛盾を感じたことはない。

 国を繁栄させるためにはドイツ社会と移民が互いに受け入れ合うべきだというメルケルのメッセージは的を射ている。メルケルは右派に迎合したのではない。移民を社会に溶け込ませるための常識的な道筋を提示しただけだ。

 移民政策に関する論争の再燃に直面しているアメリカ人も、メルケルの主張に耳を傾けたほうがいい。

[2010年11月 3日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル急伸し148円台後半、4月以来の

ビジネス

米金利変更急がず、関税の影響は限定的な可能性=ボス

ワールド

中印ブラジル「ロシアと取引継続なら大打撃」、NAT

ワールド

トランプ氏「ウクライナはモスクワ攻撃すべきでない」
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パスタの食べ方」に批判殺到、SNSで動画が大炎上
  • 2
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長だけ追い求め「失われた数百年」到来か?
  • 3
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」だった...異臭の正体にネット衝撃
  • 4
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機…
  • 5
    「このお菓子、子どもに本当に大丈夫?」──食品添加…
  • 6
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中…
  • 7
    約3万人のオーディションで抜擢...ドラマ版『ハリー…
  • 8
    「オーバーツーリズムは存在しない」──星野リゾート…
  • 9
    「巨大なヘラジカ」が車と衝突し死亡、側溝に「遺さ…
  • 10
    歴史的転換?ドイツはもうイスラエルのジェノサイド…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 5
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 9
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 10
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中