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アメリカ司法を揺るがす「多国間主義」

米国内の判決に外国の法律を参考にするべきか──
オバマの国務省法律顧問の人選が波紋を広げている

2009年4月28日(火)15時26分
スチュアート・テーラー(本誌コラムニスト)、エバン・トーマス(ワシントン支局)

国境を越えて コーは法律における多国間主義を主張している
Jim Bourg-Reuters

 ハロルド・コーは、理路整然とした法律評論記事を書く聡明な法学者。3月にバラク・オバマ政権の国務省法律顧問に指名され、上院の承認を待つばかりだ。

 だが、コーの「多国間的な法解釈」という見方は要注意だ。行き過ぎれば、アメリカの民主主義と主権をむしばみかねないからだ。ワシントンの倫理・公共政策センターのエドワード・ウィーラン所長に言わせると、コーは「ヨーロッパの左派エリートが好む政策を選択的にアメリカ市民に課すことによって、国民を代表する政府の力を奪おうとしている」らしい。口調は大げさかもしれないが、ウィーランの問題提起はもっともだ。

 名門エール大学法学大学院の学長であることから、コーは当然ながらアメリカ学会の主流派だ。ただ、アメリカの主流派自体が左寄りに傾いているのも事実。指名承認公聴会でコーは、中道派や保守派の怒りを買う自身の主張の一部を釈明することになるだろう。

「イラク侵攻は国際法違反」

 コーは02年、イラク侵攻計画が「国際法違反」だと主張。この事実は、オバマ政権が仮に一方的な武力行使を検討する場合、コーは国務省の法律顧問として反対するのか、という興味深い問いを提起する。たとえば、国連安保理決議なしにパキスタンに軍事介入する場合、コーはどう上申するのか。

 また04年にはこんな主張もした。ブッシュ大統領はイラク戦争によって、アメリカを北朝鮮やフセイン政権時のイラクと並んで国際法を守らない「不服従の枢軸」という不名誉な地位に失墜させ、他の国に国際法を守らせるために必要な信頼性を失った、と。

 コーの論理を現実に当てはめると、人権侵害を指摘されている国で事業を行うだけでアメリカ企業は巨額の賠償金を科せられるおそれがある。仮に米当局者が戦犯容疑者として裁かれる事態になったら、コーはアメリカの政府関係者を国際刑事裁判所に引き渡すべきだ、と言うだろうか。また、アメリカが批准しなかったにもかかわらず、温暖化防止条約に法的拘束力があるとコーは言うだろうか──。こうした点が、コーの指名承認公聴会で追及されるだろう。

合衆国憲法の拡大解釈も要求

 韓国系アメリカ人であるコーは、アメリカの法律は「多国間的な」法的価値を反映するべきだという。現に、グローバル化で各国の結びつきが強くなった現在、すでにある程度そうなっていると主張する。

 自身の著作で、コーは他国の法律との整合性を考えて米合衆国憲法が保障する一部の権利を拡大することを働きかけてきた。たとえば、コーは修正第8条の「残酷で異常な懲罰」の拡大解釈を求めている。

 彼ほど大胆ではないが、一部の米最高裁判事も同様の姿勢を示している。実際、アメリカの最高裁は同性愛者のセックスを禁じるテキサス州法を違憲とした03年の「ローレンス対テキサス州」判決や、殺人を犯した未成年者に対する死刑判決を違憲とした05年の「ローパー対シモンズ」判決で、外国の法律や国際法を判例に用いた。また、ルース・ギンズバーグ最高裁判事は最近、最高裁が国際的判例や外国の判例を引き合いに出す慣行を擁護。「学者の論文を参考にするように、外国の判事の知恵を参考にして何が悪いのか」と、ギンズバーグは語った。

 とはいえ、コーはそれをさらに拡大するかもしれない。コーは02年の法律評論記事で、「人類の見解」に敬意を表するため、死刑判決は「いずれ違憲と宣言されるべきだ」と主張。
 これが実際に政策になれば、条約や「国際法の慣例」における微妙な解釈を用いて、アメリカの判事が連邦法および州法を広範にわたって無効にできるようになるかもしれない。

 たとえば、コーは国連の「女性差別撤廃条約」をアメリカの法律に盛り込むよう働きかけている。80年にカーター大統領(当時)が署名したが、議会の反対で批准されなかった経緯がある。この条約を監督する国連女性差別撤廃委員会は、中国での「売春の非犯罪化」、コロンビアでの中絶合法化、ベラルーシでの母の日の廃止(「女性の伝統的役割を奨励する」からという理由だ)を求めている。

 当のコーは02年に上院の公聴会で証言した際、同委員会の報告書に法的拘束力はないと強調し、条約を批准したことで「アメリカで母の日を廃止しなければならない」という考えは「ばかげている」と語った。それでも、報告書はコーの称賛する「多国間的な」法的プロセスの一環にほかならない。

実績と能力は申し分ないが

 ただ、多国間的な法律を熱烈に支持するコーのような人物がアメリカをデンマークのような国に変えたがっている、と言うのは安易すぎるだろう。コーはスペイン人判事のバルタサル・ガルソンではない。ガルソンとは、チリのアウグスト・ピノチェト元大統領の逮捕劇の仕掛人で、現在はテロ容疑者の「拷問」に関与したブッシュ政権の法律顧問らの訴追を検討している人物だ。

 むしろ、コーが信条とするのは派手な訴追ではなく、法の緩やかで理路整然とした進化だ。レーガン政権下の司法省勤務時代、およびクリントン政権下の国務省次官補時代のコーの実績には、ほとんど異論はなかった。ブッシュ政権のテッド・オールソン訟務長官など一部の著名な保守派はコーの能力を買っており、指名に賛成している。また、上院はよほどばかげた指名でないかぎり、大統領の次官クラスの指名を承認するものだ。

 それでも、コーのような「多国間主義者」が法律理論を利用して自身の政治理念を広めようとしている、という保守派の主張には一理ある。コーがアメリカの法律に導入したがっている国際的な法律規範は、概して社会民主主義のヨーロッパと米学界のリベラル派の価値観を反映するものだ。コーは、アメリカの判事が女性差別的なイスラム法に順応するよう主張しているわけではない。

 ただしコーの著作は、拡大解釈されると、「オバマは隠れた社会主義者だ」という右派の非難を勢いづかせる材料となりうるのも事実。その場合、オバマはコーの挑発的な見解に賛同しているのか、答えを求められるかもしれない。

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