近しい人を見送るとき...母の最期に立ち会えなかった作家が「最期に立ち会えなくても大丈夫」と思えた理由
お盆をすぎて間もない夏休み、人で溢れかえっており、わたしは店の隅っこにスーツケースと子供たちを避難させて慌ただしくパンを選んでいたらスマートフォンが震えた。次女からだった。
「たった今ね、お母さんのもとにいた看護師さんから呼吸停止の連絡が来たよ」
姉の声は、静かで穏やかだった。呼吸停止ということは......そうか、そういうことか。
「わたし、もうすぐ新幹線に乗る」
「ああ、そう。でも急いだところでしょうがないから、ゆっくりおいで」
「わかった」
姉からの電話を切った後、一瞬ぼんやりしそうになったが、知らない人に押されて現実に引き戻された。今は子供たちが食べるパンを買わないと。
ソーセージパンと、チョココロネと、クリームパン、サンドイッチ......。子供にリクエストされたものを思い浮かべつつ買い込んでレジへと急いだ。姉にはゆっくりおいでと言われながらも、ほとんど駆けるようにして、一番早くに出発するのぞみに飛び乗った。
間に合わなかった...いや、そうじゃない
すぐに動き出した新幹線の中で、お腹が減ったという子供たちにパンを配り、ようやく一息ついて窓外に目を移した。
ああ......間に合わなかったなぁ。
ものすごいスピードで流れていく景色を見ながらそう思ったら、張り詰めていた全身の力が抜けた。でも、お母さん、わたしを試写会を行かせてくれたのね。一緒に観ていたのかしらね。
わたしたち娘に迷惑をかけることをひどく嫌がる孤高な人でありながら、しかしそれとは裏腹に、とてつもない厄介ごとを持ちち込んでくるところが母という人の矛盾だったが、最期は、彼女らしい気遣いを発揮してくれたように思った。
読書家だった母の棺には、いくつかの愛用品とともに、わたしの著書とタロット占いの本も入れた。旅路のお供になればと考えたが、あのせっかちな母だから、本など読む暇もなくぶっ飛ばしているような気がしないでもない。
生前、自分はいつかの前世でシリウス星にいたことがあると信じてたから、重たい肉体から解放された今、宇宙を光速で突き進み、里帰りするべくシリウス星に向かっているんじゃないか。
あの異常なまでの明るさも、マイナス一等星のシリウス由来だと考えれば納得できるもの。
お母さん、どうか道に迷わないように。
気をつけて。ボン ヴォヤージュ。
尾崎英子(おざき・えいこ)
作家。1978年、大阪府生まれ。2013年『小さいおじさん』(文藝春秋、のちにKADOKAWAより『私たちの願いは、いつも。』として文庫化)で、第15回ボイルドエッグズ新人賞を受賞しデビュー。
著書に『ホテルメドゥーサ』(KADOKAWA)、『有村家のその日まで』『竜になれ、馬になれ』『たこせんと蜻蛉玉』(以上、光文社)他。近年は10代から楽しめる作品にも執筆の幅を広げ『きみの鐘が鳴る』『学校に行かない僕の学校』(ポプラ社)他。2024年、『きみの鐘が鳴る』で、うつのみやこども賞受賞。
『母の旅立ち』
尾崎英子[著]
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