ハトを喰らい、悪魔と呼ばれた男の終幕──「ヘヴィメタルの帝王」オジー・オズボーンの本当の功績とは?
“Prince of Darkness” Dies
ブラック・サバスの看板男として1978年5月ロンドンのステージに立つオズボーン。この後、薬物・アルコール依存症問題でバンドをクビに GUS STEWARTーREDFERNS/GETTY IMAGES
<ロックに狂気と革命をもたらした男の人生は、病魔を前にしてもなお、闘いに満ちていた>
「メタルの帝王」「闇の王子」の異名を取ったオジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)が、7月22日に死去した。76歳だった。7月5日に故郷イギリスのバーミンガムで、最後の「お別れ公演」を開催したばかりだった。
オジーことジョン・マイケル・オズボーンはロックのサウンドを変え、60年近いキャリアと5つのグラミー賞、いくつもの殿堂入りと伝説的事件を残してこの世を去った。
1969年、オズボーンはギーザー・バトラー(ベース)、トニー・アイオミ(ギター)、ビル・ワード(ドラム)とバンド「アース(Earth)」を結成。
だが同名のバンドが既に存在したため、イタリアのホラー映画『ブラック・サバス/恐怖! 三つの顔(I tre volti della paura)』にちなんで「ブラック・サバス(Black Sabbath)」と名前を変えた。
こうして誕生したバンドは、ハードロック革命の一翼を担った。そのヘビーなサウンド、ダークな歌詞とおどろおどろしいスタイルは、明るいヒッピー文化へのアンチテーゼだった。

70年2月発売のデビュー作『黒い安息日(Black Sabbath)』と9月に出た『パラノイド(Paranoid)』が、世界中でヒット。皮肉や風刺を盛り込んだアルバムをアメリカのリスナーは悪魔崇拝の音楽と勘違いし、それがかえって人気につながった。
初期のマネジャーを務めたのが、悪徳マネジャーとして知られたドン・アーデンだった。その娘シャロンは、オズボーンの人生に誰よりも強い影響を及ぼす人物となる。
オズボーンはブラック・サバスで8枚のアルバムを残したのち、薬物とアルコールに溺れてバンドを解雇された。
ソロに転じた彼を終始マネジャーとして支えたのがシャロンだった。ソロ2作目『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン(Diary of a Madman)』のツアー中に、ギタリストのランディ・ローズが飛行機事故で早世。ローズと親しかったオズボーンは深刻な鬱状態に陥った。
シャロンと結婚したのは、この悲劇から数カ月後のことだった。依存症と闘いながら、オズボーンはさまざまなギタリストと組み、ソロでアルバムを発表し続けた。
そして90年代半ばにキャリアの黄金期が到来する。
96年、音楽フェスティバル、ロラパルーザに出演を拒否されたのをきっかけに、シャロンは「オズフェスト」を立ち上げた。
このハードロック・ヘビーメタルに特化したフェスはアリゾナ州フェニックスとカリフォルニア州デボアの2カ所から始まって全米ツアーに成長し、やがてヨーロッパや日本でも開催された。
伝説の「コウモリ事件」
2002年にはオズフェストとMTVのパートナーシップから生まれた『オズボーンズ(The Osbournes)』が、放送を開始。オズボーンとその家族の日常に密着するリアリティー番組だ。
一家は世界の視聴者の前で放送禁止用語を連発し、高機能なテレビのリモコンと格闘し、愛犬をしつけるために「セラピスト」を雇い、ハチャメチャな生活をさらし、オズボーンは映画『欲望という名の電車』のワンシーンよろしく「シャローーーン!」としょっちゅう絶叫した。
成功の陰でオズボーンは複数の健康問題を抱え、不調を隠そうとしなかった。特に薬物・アルコール依存症にはキャリアを通じて苦しんだ。
19年にはパーキンソン病と診断された。ブラック・サバスのメンバーと豪華ゲストが集結した7月5日の最終公演「バック・トゥ・ザ・ビギニング(Back to the Beginning)」では立つことができず、椅子に座ったまま歌った。
ステージでハトやコウモリの頭を食いちぎり、アメリカの国定歴史建造物「アラモ砦」に放尿するなど、奇行に彩られた人生でもあった。
筆者の私はオーストラリアのブリスベン郊外で、白人の中流家庭に生まれた。80年代、性ホルモンとニキビに翻弄される思春期の私が本能的にぐっと引かれたのが、ヘビーメタルだった。
町の中古レコード屋を回り、『黒い安息日』を手に入れたのは85年頃だろうか。雷鳴がとどろき、教会の鐘が鳴り、ドロップDチューニングのギターリフが始まるオープニングは、陽光あふれるブリスベンや当時の能天気なポップスとはまさに対極だった。
重くひずんだギターリフは90年代初頭に世界を席巻した音楽スタイル、グランジの誕生にもつながった。
オズボーンが率いた頃のバンドの影響は絶大で、そのサウンドはグランジを通して新たな命を得た。ブラック・サバス風のギターリフとパンクのエネルギーとビートルズのメロディーが融合してできたのが、グランジだったのだ。
私が音楽の新しい流れを理解する耳を養えたのは、ブラック・サバスやオズボーンを聴いていたおかげだ。
オズボーンの訃報自体に驚きはない。むしろ、よくここまで長生きしたと感心する人のほうが多いだろう。今はただ、半世紀以上も人を楽しませ、音楽に情熱を燃やし、ポップカルチャーの常識を変え続けた「帝王」をたたえたい。
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Lachlan Goold, Senior Lecturer in Contemporary Music, University of the Sunshine Coast
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
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