なぜテレサ・テンは、中国とアメリカの心を今もつなぎ続けるのか?...「アジアの歌姫」は30年の時を超える
Eternal Queen of Asian Pop

胸に響く歌唱と「隣のお姉さん」のような親しみやすさでテレサ・テンはアジアの歌姫となった NORA TAMーSOUTH CHINA MORNING POST/GETTY IMAGES
<未発表曲が6月にリリースされたテレサ・テン。その歌声が、いま再び世界に響く理由について>
数年前のこと。ユニバーサルミュージックの社員が東京の倉庫で1本の音源テープを見つけた。テープには今は亡き台湾出身のポップスター、テレサ・テンの未発表曲が録音されていた。
作曲家の三木たかしと作詞家の荒木とよひさが手がけたポップなバラードで、テンが日本に住んでいた1980年代半ばに録音されたとみられる。
「ラブソングは夜霧がお好き」というタイトルが付けられたこの曲は、今年6月に発売の三木の作品を集めたアルバム『三木たかし ソングブック』に収録、発売された。
テンは30年前の1995年にこの世を去った。アメリカではその人生や楽曲についてほとんど知られていないが、テンが歌ったバラードは、アジアを中心に世界各地で今も歌われ、愛されている。
私はソフトパワーの道具としてのポップミュージックについて研究しており、ここ数年はテンの音楽と今に残るその影響について調べている。テンの影響力の大きさはその美しい声のおかげだけでなく、彼女の音楽がアジア各国の政治的立場の違いを超えて愛されたためだと私は考えている。
彼女はいくつもの言語を流暢に話し、歌った。優雅だが謙虚で、礼儀正しく親しみやすかった。慈善活動に積極的で、民主主義的考えへの支持をはっきりと表明してもいた。
中国本土でも大人気に
テンは台湾の雲林県で53年に生まれた。台湾には国共内戦の末期に中国大陸から逃れてきた国民党の軍人とその家族が暮らすために建設された村が多くあったが、テンが育ったのもそうした村だった。
幼い頃から中国の伝統的な音楽や歌劇に親しんだことが、歌手としての基礎を形づくった。6歳の頃には歌のレッスンを受けるようになり、そのうちに台湾各地の歌唱コンクールで優勝するようになる。
「大人に言われて歌っていたのではない」と、テンは生前、述べている。「私自身が歌いたかった。歌っている間は幸せだった」
音楽に集中するため、14歳で学校をやめて台湾のレコード会社と契約、間もなく最初のアルバム『鳳陽花鼓』を発表する。70年代には、台湾や香港、日本や東南アジアで活動。真の意味でのアジア初の国境を超えて愛されるポップスターとなった。
70年代後半から80年代にかけてが、テンの歌手としてのキャリアの絶頂期だった。「何日君再来」や「月亮代表我的心」をはじめとする代表曲を次々とリリース。アジア各地でコンサートを開き、「テレサ・テン・フィーバー」を引き起こした。
だが90年代初めにテンは、健康上の理由から活動停止を余儀なくされる。そして95年5月8日、滞在先のタイのチェンマイで、ぜんそくの発作で急逝した。42歳だった。
テンを語る上で最も注目すべきは「テレサ・テン・フィーバー」が最も盛り上がったのは中国においてだった、という点だろう。
70年代後半から80年代にかけて、中国では鄧小平の下、改革・開放政策が推し進められた。それとともに、外の世界からの文化的な影響を慎重にではあるが受け入れるようになっていった。
外国のポップ音楽も流入した。もちろんテンの歌う甘いバラードもだ。テンの歌は上海のような沿海部のみならず、内陸部も含めた中国のあらゆる地域で聞かれるようになった。上海の宣伝当局は80年の内部文書で、テンの音楽は公園やレストラン、老人介護施設や結婚式場でも流れていると指摘している。
中国でテンがこれほど人気を集めたのには理由があった。長きにわたる文化的プロパガンダや検閲の時代の後で、人々は胸に響く芸術を強く求めていたのだ。型にはまった革命歌があふれていた社会にとって、優しくて人間味あふれるテンの音楽は新鮮だった。
テンの楽曲には時代を超える力もある。83年のアルバム『淡淡幽情』では、中国古典文学の詩をポップミュージックのメロディーに乗せて歌っており、伝統的なものと新しいものを組み合わせる彼女の才能が伝わってくる。このアルバムにより、単なるポップスターとしてだけでなく、文化的な革新の担い手としても、テンの評価は高まった。
文化の違いを超える力
90年代から2000年代初めにかけて、米国内で中国からの移民は増加して110万人を超えた。テンの音楽は、全米各地の中国系コミュニティーにも深く根を下ろした。中国系移民はテンの曲を親族の集まりやコミュニティーのイベントで流した。春節(旧正月)の時期にチャイナタウンを歩けば、どこからか彼女の声が聞こえてくるはずだ。
若い世代の中国系アメリカ人のみならず、中国とは関係のない人にとっても、テンの音楽は中国文化への入り口となっている。
私はアメリカで、アジア系アメリカ人の学生がテンの曲をカラオケや文化イベントで熱唱しているのを何度も目撃した。両親が好きだったから、地元のアジア系住民のコミュニティーのイベントでよく流れていたから、といった理由で子供の頃からテンの楽曲を聞いて育った人は多い。
今回、未発表曲が発表されたことは、色あせない歌声が存在することを証明している。それは、世界中に散らばる人々の心の中で生き続ける。
国際政治が異なる文化の間の溝を深くしているこの時代に、テンの変わらない魅力は私たちに、静かだけれど永続性のあるものが存在するということを思い出させてくれる。
それは時と空間を超えて感情を伝える声の力であり、異なる大陸や異なる世代の間に橋を架けるメロディーなのだ。
Xianda Huang, PhD student in Asian Languages and Cultures, University of California, Los Angeles
This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
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