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「現代の同性愛とは結び付けられない」ポンペイの性文化──メディアが報じ方に悩む理由

Roman Sexuality Was Not That Simple

2023年2月11日(土)16時06分
ジョアン・フロレンシオ(英エクセター大学上級講師)
ベッティの家

財を成した解放奴隷の商人の兄弟が所有していた「ベッティの家」。数多く残る壁画のほかにも、円柱で囲まれて彫刻で飾られた中庭などでも知られ、ローマ時代の精神が凝縮された博物館のようと称される(写真は外観) ANADOLU AGENCY/GETTY IMAGES

<古代ローマの露骨で複雑な性文化は「権力」抜きには論じることができない。しかし、「配慮」しすぎて表面的なことに終始するか、逆に美化・神話化したがるのはなぜか>

イタリア・ナポリ近郊にあるポンペイ遺跡の「ベッティの家」が長い修復作業を終え、20年ぶりに全面的に公開された。しかし、ポンペイに詳しく記録されている古代ローマの性文化をどのように伝えるか、報道機関は頭を悩ませているようだ。

イギリスの新聞では、メトロ紙が「売春宿を兼ねた豪華なポンペイの邸宅に興味深い壁画」という見出しを掲げ、ガーディアン紙は玄関にある豊穣の神プリアポスのフレスコ画(自分の巨大なペニスと金貨の袋をてんびんにかけている男性の絵/下写真)や、台所の横にあるエロチックなフレスコ画を取り上げている。

デイリー・メール紙は意外にも、露骨なフレスコ画については何も語らず、「歴史的なインテリアデザインの特徴」を中心に紹介した。

現代のゲイの男性は古代ローマに、自分たちのような人間は昔からいたという証拠を求めたがる。そのことを、ゲイの男性であり近現代のセクシュアリティーの視覚文化を研究している筆者は、嫌というほど知っている。

一方で、西洋の古代史の同性愛に関するこうした単純な解釈が間違っていることは、研究者の間ではよく知られている。古代ローマの同性間の関係は、現代の私たちとは全く異なる形で経験され、考えられていたのだ。

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豊穣の神プリアポス IVAN ROMANO/GETTY IMAGES

古代ローマのセクシュアリティーは、パートナーの性別ではなく、権力の観点から構成されていた。自由人(解放奴隷)の性的パートナーの性別は、社会的地位より重要ではなかった。

セクシュアリティーが社会的に受け入れられるかどうかは権力の問題であり、権力は男らしさの問題だった。そして、古代ローマの家父長制的な性文化は、その両方の要素を備えていた。成人した自由な男性は、女性や奴隷、男女の性労働者など、挿入対象になれば社会的地位の低い誰とでもセックスができた。

古代ローマに現代の同性愛の概念を読み込もうとする裏には、ポンペイに残された落書きのように当時広く存在していた性的要素を、現代文化のメインストリームが否定し、あるいは少なくとも純化してきたという事実がある。

ポンペイで性的に露骨な遺物が最初に発見されたとき、考古学者たちはその歴史的価値からぜひとも保存しようと考えたが、猥雑な内容ゆえに、「秘密の小部屋」で人目を避けるように展示した。

「ポルノグラフィー」という言葉が生まれたのも、こうした古代ローマの遺物を分類するためだ。「ポルノグラファー」という言葉を最初に使ったのは、ドイツの古典学者カール・オトフリート・ミュラーによる『美術考古学ハンドブック』(1830年)で、古代ローマの露骨に性的な美術品の制作者を指していた。

「ベッティの家」の再開をめぐる報道は、現代文化のメインストリームが、ローマ史の好ましくない部分を「消毒」している例でもある。

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装飾を凝らした部屋 MARCO CANTILEーLIGHTROCKET/GETTY IMAGES

プリアポスのフレスコ画を取り上げる際は決まって、豊穣の神の巨大なペニスは、この家を所有していた兄弟が蓄えた富のメタファーにすぎないと主張する。2人は奴隷から解放され自由人となり、ワインなどを売って財を成した。

アイデンティティーの源

こうした解釈は必ずしも間違っていないが、古代ローマ文化における男根のイメージのより複雑な、それゆえに興味深い役割を見過ごしている。

米古典学者のクレイグ・ウィリアムズが指摘するとおり、「ベッティの家」にあるようなフレスコ画は古代ローマの文化圏に広く存在し、当時の男性にとってアイデンティティーの源というだけでなく、欲望の対象でもあった。

巨大なペニスが自分に挿入されたら......とまでは言わなくても、自分もそのような男根を持っていたら、と。

プリアポスはその大きなペニスと、挿入によって他者を支配するという飽くなき欲望ゆえに、「ローマの男性優位主義の守護聖人やマスコットのようなもの」になったと、ウィリアムズは述べている。

台所から続く小さな部屋で発見されたエロチックなフレスコ画も、現代の報道は、その部屋が売春に使われていた証拠だと説明したがる。

一方で、これは家の主人のお気に入りだった奴隷への贈り物として注文されたフレスコ画だという見方もある(この部屋はおそらく料理人が使っていた)。

セックスがタブーではなく、むしろ権力や富、文化の象徴として奨励されていた文化において、エロチックな画像は売春宿だけにあったわけではないだろう。文学や視覚美術を含めて、あらゆる所にセックスがあったのだ。

「ベッティの家」に関する報道は解釈が完全に間違っている、とは言わない。しかし、露骨なフレスコ画を高貴なものの比喩とすることも、売春宿という当時は当たり前に存在していた特定の場所だけに結び付けることも、偏った見方だろう。

こうした解釈が優先されるのは、古代ローマ文化におけるセックス──つまり、現代人が自分たちの「起源」として神話化したがる文化におけるセックス──が、多くの人が不快に思うような形で行われていたことを受け入れたくないからではないだろうか。

The Conversation

João Florêncio, Senior Lecturer in History of Modern and Contemporary Art and Visual Culture, University of Exeter

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

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