最新記事

言語学

「年金がお入りになります」丁寧すぎる日本語をどこまで許容できるか?

2022年12月27日(火)10時08分
平野卿子(ドイツ語翻訳家)

すべて丁寧に、丁寧に

つい先日、新聞漫画「コロコロ毛玉日記」でも現代を象徴するような記述があった。主人公が飼い猫を医者に連れて行った帰り、人だかりがしていたという場面の描写に次のようなものがあった。

「警備員の人が(何だか)の犯人の人を取り押さえていたのだった」(「朝日新聞」2022.12.17、太字は筆者)

「の人」という言いかたは、きわめて今日的だと思う。「警備員の人」のほうはまだわかる気がする。しかし、「犯人の人」はどうだろう? 以前なら「警備員が犯人を」だったはずだ。

日本では職業名にも「さん」を付けることが多いので、「魚屋さん」「店員さん」と呼ぶことは日常的だ。それは「魚屋」「店員」というと、なんとなく「呼び捨て」感がつきまとい、丁寧ではないからだろう(それでも、病院の地図に「セブンイレブンさん」と書かれているのを見たときには驚いた)。

このような敬語や丁寧表現の氾濫はいったいどこからくるのだろうか。先に述べた「敬意逓減の法則」だけが原因ではないように思う。その背景には人間関係が希薄になってきたという事実があるのではないだろうか。

敬語を使うと相手との距離が生ずる。敬語や丁寧語を使えば使うほど、相互の距離は開いてしまう。逆に言うと、通り一遍の人間関係しか求めないのであれば、あたりさわりなく、とりあえず丁寧にさえ言っておけばいいということになる。

ことばは生きている

ただ、ここで忘れてはならないのは、いま正しいとされていることばがそもそも昔とは違っていることである。ことばは変わる。

たとえば、「全然」は「全然悪くない」というふうに、次に打ち消しや否定が来るのが一般的だが、昔は肯定文にも使われていたという。夏目漱石の『坊ちゃん』にも「生徒が全然悪いです」というくだりがある。

気になることば、間違いだと言いたいことばは、正直言ってたくさんあるが、先人たちもそうだったのではないだろうか。後の世代に向かって「変えるな」というのは、ことばが生き物である限り、土台無理なのかもしれない。


[筆者]
平野卿子
翻訳家。お茶の水女子大学卒業後、ドイツ・テュービンゲン大学留学。訳書に『敏感すぎるあなたへ――緊張、不安、パニックは自分で断ち切れる』『落ち込みやすいあなたへ――「うつ」も「燃え尽き症候群」も自分で断ち切れる』(ともにCCCメディアハウス)、『ネオナチの少女』(筑摩書房)、『キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生』(河出書房新社、2006年レッシング・ドイツ連邦共和国翻訳賞受賞)など多数。著書に『肌断食――スキンケア、やめました』(河出書房新社)がある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米長官、印・パキスタンに緊張緩和要請 カシミール襲

ビジネス

日経平均は続伸で寄り付く、米株の底堅さ好感 大手ハ

ワールド

一部の関税合意は数週間以内、中国とは協議していない

ビジネス

米キャタピラー第1四半期、収益が予想下回る 関税影
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 2
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 3
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    中居正広事件は「ポジティブ」な空気が生んだ...誰も…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 10
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中